まあ人間なんて中身(嗜好)がどんどん変わるもんだしね
もし「よし 背水の陣だ ここでオレは一生いきていくんだ!永住!」と
決めてしまったらそこを好きになるしかないから合理的指向ということで
ものごとのいい面をみるいい面ばかりをみていくわけです(そもそも
選択というものを放棄する)
放棄できるかどうかは別としてね
まあオレもMさんというどっかの地方からどっかの地方へ
なんか同級生と結婚することにしたらダンナの実家がこっちだった
といって知らない土地にきてしまったという人がいるわけだが
Mさんはもとのもとの同僚ですが
そうそう
どうしてそんなに「ここに永住」ってそれはダンナと離婚する気もないわけ
だからそうなるわねえ
そもそも好きでけっこんしたんだろうしね
しかしそもそも土地を選んだわけではないので土地については
ダンナとは別に吟味
吟味?
してないよね
とかいろいろ~~
オレは
オレの思考がもっとも重要なのでそんなダンナをえらんだら
勝手にその土地が決められてしまうみたいなのはイヤですね
まあオレはダンナを欲していないのでそもそも論だけどね
土地というものは
そもそも論では「そこに生まれた」ところで縛られている
ような気がする
ほうが多数であっていまの世界でも多数ではある
んだがこのいま現在の世は「うごく」人とか
たくさんふえてきたので
この土地とあの土地を比較してみよう!どっちがいいか!
みたいなことをはじめたのである
しかし「住む」ことはもともとはそんなに自由選択の対象では
なかったのである
だからいまでも「よそもの」といって
自由選択するようなやつはうわついたやつだ
「移ってきたからにはまたこの先どこかにいってしまうにちがいない」
みたいな決めつけをするんですよ
そうかもしれませんけどね
どっちの視点もありうるのである
はあ~フロさきにいってくるべきよ