真の熟議はものすごい面倒

・税金をなぜ 払う 払わないといけないのか

 

・こどもを産む なぜ産まないといけないのか(女性の子宮から)

 

みたいなことがあるわけですが「疑ってかかる」

 

「疑わない」というときにはもう既に疑うという選択肢がそこにあることになってしまうが

それ以前(なにも考えず行動する)は選択肢などなく女=こども産むだろふつうに

などと言っていたわけですが(行動していたのか言っていたのか)

 

税金払うのはさらに「税金>? なにそれ」の時代もあって

そのあと「労働を強制する」があって

「布を差し出せ」とかあって

さいごに「貨幣を税として払え」になって

いま電子マネー税金ですかまあ中身はおなじ(空疎という意味で)

 

なんにせよ

ある学問指向学問の学説が「~は正しい!」と

支持される

支援される

賛成される

それもひとつの意見だとされる

 

ときには

 

「この学説は間違っている」

「この学説は正しい」は

懸賞再現実験をしてそうであることが他の人によっても確認されれば正しいが

実験などができないばあい(いろんなケースがある)は

ただしいかどうかとか支持するかどうかは

うけとった側の意見のもちようで

熱狂が大きい場合には(総量としての熱狂)

「ああ!正しい!」とされるわけで

 

この世でオレだけがそれを正しいというばあいには

オレのほうが「かわいそうにくるっている」とされるわけじゃないですかあ

 

産まないと決めた女性がこの世に一人だったらこいつがおかしいって

言われるじゃないですかあ

 

税をはらわないと決めた人が一人だったら強制的に他の

税法に定められた罰ー3倍払うのか収監されるんかー

 

行政法っていわゆる「6法」じゃないんですね(こないだ図書館で

立ち読みしてた)

 

毎回ぜんぶ

のケースで何故産むのか何故税払うのか

論議やらしてたらすごい時間がかかるが

熟議ってそういうことなんじゃないの????

先人がもうそれ考えたからいいですってわけには

いかないんじゃないの?本来>?