10月28日(土)

はあ

やっぱり抽選なのね草月ホール東野と山里

開演12月16日(土)

ふうん

12月ってオレはどうなっているのか

気になるね

 

まあ昨日わかったこととして実写の高木さんが

3月(来年)かららしいからあれですよ

生きていく支えってやつですよ

 

それでいうといまみたい映画が

アンダーカレントかもしれないし

 

あるいはヨーロッパ新世紀

あるいはスコセッシの新作(最後の作>?)

 

なんかこうあれだ

人間だなあと思うのは

それこそアイスランドについて調べていて(グリーンランドから

言わせるとアイスランドは観光汚染された土地らしいぞ)

アイスランドにいる住む日本人からみれば

アイスランドが女性平等No.1の国とはいえ

アジア人差別はしっかりあり

アジア人の女性なんて差別される対象ナンバー1だって

いう実感を述べるようなツイッターであるが

そういうのみると

世界のどこの土地も所詮人間のやることという感じがして

つまりヨーロッパ人も人間だという

あたりまえの文言だがあまりあの人たち人間って感じがしないのですよ

それをいえばオレはオレ的な感想として

他人すべてあまり人間だなあオレと同じ人間だ

という感じはしないのである

 

あと東野が「山ちゃんスポーツまるで興味ないし」とか

言うラジオをいまきいていて

そういえば山里は何に対しても心の底からの熱を

産むような感じがないのだと本人がそう言っていて(ETVで)

そうなの?とか思うが

ももクロちゃんとかアイドル系も宝塚も

高知もその他なんでもなにかこだわりを見せるやつはみんなウソ>?

みたいな感じだがそうではないんだろうなきっと

こう他人様がみせる「何か対象への偏愛や推しなどのものすごい熱狂」くらいの

熱量がどうしても自分の中から生まれてこないと本人は実感しているのでは

ないか

と推測する

 

だからオレからみればヨーロッパ人がどうも人間に見えない(が

さいきん人間にもみえてきた)のと

山里から見た他のなにかに熱狂する人たち

というのはある意味共通点というか視点というか

その対象から自分(観測者)は遠くに離れているという

観点なんじゃないか?

とか思ったりして

 

それこそ山里と話しているときに古館は

実況のことについて「描写です」と言っていた

まわりの見えているものをただひたすら描写して言葉にしてそれを口から

出しているのだという

それって観察者ってことだし

それは対象から離れていないと見えないよね観測

だから離れていることにより熱はそこまで伝わらないし

いっしょに熱くなりたいわけじゃなくて

熱を遠くから見るそして観測し描写するということを

している(基本姿勢)のではないか

とか

オレは朝からそう考えるのであった

 

ヨーロッパ人が人間らしくないというのは

日本人もまたオレからみれば全員人間らしくは見えないということ

と同じことなんですよオレの目からすれば

人間ってなんじゃいということだ

 

どうですかねというところ

 

東野のラジオはおもしれえなあ

 

古館と山里のやつはまたNHK+でみるか

と思ったがそういう肝というかなにか重要な部分って

ほんの一瞬なんですね