4月14日(日)

死に方ということをかんがえたときに

問として

「どこで死ぬか」「どのように死ぬか」を考えるが

そこから「病院で」「自宅で」となり

病院で死ぬのはいやんなので自宅でやりたい

自宅でというときにどこにある自宅で窓から何がみえるか

山はみえるか川はみえるか

など考えるのである

病院の駐車場がみえるというのはあかんのである

 

まあ歩けなくなるわけだが

 

「どのように’(疾患で?事故で?故殺で?自殺で?)」

というのはたいがい選べないほうが多いので

そこは考えない(問を立てても解の条件)

 

だから好きな土地に家がないといかんのである

 

とかね

 

だからずっと北海道と香山リカの本のことが気になっているので

ある

むかわ

が恐竜のまちだなんて知らなかった

しかし結局は医師とか大学教授とか

そういう金と名誉みたいなのがそこに根底

しかしそういうことは考えないのほうがよくて

勝手にきめてかってにやる

ほうがたのしそうじゃんね

 

真にたのしいとはどういうことかって

「真に正しい」を考えるよりよっぽど主観に即していて

よいと思うけどね

朝から

 

朝からそういう「未来」

「時間的な先」のことばかり考えているが

別にいまを軽視したいのではなく(今のことは今のことで考えている

税金が主人公ってどういうことだろうとかね)

時間的な組み立て(やるのに年単位で時間がかかるとか)が

必要だと思うからである

人は移住に際して何をもっとも重要視するのかとか

何なら無視できるのかとかね

 

子育てするわけじゃないから学校と病院はどうでもいいし

とはいえ「地域」がいきのこる(生命としての地域

それから持続するなんというか地域共同体)ための中心の子宮として

の学校は無視できないというかすごく重要である(未来がみえるビジョン)

 

それこそ生殖未来主義の批判っていうときに批判するからこそ

生殖未来主義を当然のこととして受け止めてるやつらにたいして

アンチであるためにはやつら以上に生殖未来主義のことを

知り尽くしていないといかんような気もするのである(ミイラとり?)

 

素朴な考え無しと批判するのは簡単だが

考えなくてもいいくらいに自明であるとそいつらは言うもんだから

 

こどもの

「未来」があるかんじ ー自明ではないが自分だって昔コドモだったので

あって

 

それこそ昨日『初恋の世界』14巻を読んでよみおわって

なんだかマジで養子とるの?ってな

 

コドモをつくれないとわかってからそこから養子可能性をかんがえる

というお膳立てが見事でもあり有体でもあり

でもなんかパワーでこっちを泣かせてくるので

そこがなんというか読者の欲望というか

誰にでもありうる感というか

考えて行動すればできることがたくさんあるということを

読者に知らしめるというか

考えも行動もなんでもありというか

狭い枠にとらわれているほうがおかしいというのは現実には

こういうことだ!

と見せてくれるのがフィクションだ

みたいなね

それはいい

すごくいいね