映画「トラペジウム」について

6月1日に三宮OSシネマズミント神戸で鑑賞

とくてん・おおきい東さんのポストカード

 

ひとの評判で「前半がアイドル信仰いきすぎたロボット管理者で

後半がこころいれかえ?」って

いうからそれはヘンな話だなあと思っていったら

みたらその通りだったからこれまたはあ~

 

賛否両論

 

アイドルの神性というか「至上性」というか無謬の価値があると

「信仰」している者に対しては

議論成り立たない

なんしろ無謬だからね

 

ただそこにはいろいろ無数のツッコミどころがあるので

映画を何回でもみたくなるわけで

 

オレが考えるところでは(もちろん他の人もこのように考えている

可能性はあるが考察みまくってるわけでもないしパクりでさえもない)

 

東(あずま)さんは

アイドルをやりたくて

オーディションをたくさんうけて

(その結果については中盤であかされる)

 

いろいろあって「グループアイドル」を「つくる」こと

を目的にした

 

のだがここからが「おかしい」ところであって

 

・目的を他のメンバーに明かさない

・友達になろうよといって接近する

・そのためには自らの嗜好を偽造さえする

そうやって2人をゲットして

最終計画は4人組なので

あとひとりなのだが・・・

 

4人目の子が「むこうから」やってくるのである

ボランティアに情熱を傾けている子ね

ここでも東はボランティアやりたいという意思ないくせに

ボランティア活動するのね

 

あと「城」のガイドボランティアもやるのね

テレビとかの取材にみつかりやすいという意図でね

それは誰にも言わないけどね

だからテレビに「みつかった」あとはボランティア

やらなくなるからね

 

オレはそういう非誠実でかつ倫理にもとるところが

嫌いです

悖るって難しい字だな・・・

 

しかしそれは東ちゃんの「キャラとしての個性」とすべきなのか

「キャラクターとしての欠陥」とすべきなのか

 

オレはこないだ読んだキャラ/キャラクター

の定義を付け焼刃として使おうとしてる

 

なんちゅうか

全体としてはこの話は話なので

話をドライブさせるために東ちゃんの「常人ではおもいつきそうも

ないアイデア」が強調されないといけないと考える

よって他人には意思が無くて私の考える策に従属的にふるまえと

いっそ命令したいくらいに思いつつ必死に命令だけはこらえている東ちゃんの

姿を眺めることが観客にとっての快楽にもなるんですが

 

それって醜悪じゃねえか?

 

そこだけが気になるわけですつまり観客もまたそれを

眺めて楽しむのであれば「共犯」なわけですよ

 

さいわいにも優しさのある3人(南・西・北)だったから

東ちゃんが最終的に恨まれることはなく

意思を操られたと糾弾されることもなかった

「あくまでそれぞれの本人の意思で」アイドルをやっているという形を

のこしたからね

 

そこだけだ

 

あとはアイドルがアイドル性をもって「世界でいちばんすばらしい(意訳)」

とまで言明する東ちゃんの顔の表情をもって

いみじくもその言明こそが狂気そのものだ

って

映画的には表現してしまっているわけだと

オレはそう見たね

 

同じような話で大江健三郎にはミソジニーがあったがそれを

大江本人は必死にかくしていたが映画にしたときに伊丹十三には見抜かれて

しまっているので映画では・・・という話もついったで読んだ

「静かな生活」っていうやつ

若い女性がそれをみるとすごく気分のわるい気持ち悪さになっているらしい

オレは観てみるまでわからないね

 

でもトラペジウムの話にもどるとこの話は

トラペジウムとはなにか

それはオリオンにおける4つの星がフォーメーションをとって

いるようにみえるけどじつはその4つは位置関係や光を放つその時の

ズレがズレておりたまたま地球にとどいた光があのフォーメーションに

なっているだけだってやつなんだって

つまり

そのフォーメーションは一瞬の「ととのい」なんだよ

 

アイドルが4人組で曲をCDにのこすまでの結果を出せたのも

一瞬の偶然になにかがうまくととのって進んでやっただけの

ことだったんだけど

結果は結果で出した

出したんだ

ということが決して悪だけではなかった

という結末を用意してある

のがこの話の救い

救いである

 

写真とる男の子もよかったね

新海誠みたいだったね

 

とにかく映画はみないとわかんないね=~=~

毎回そう思うよ