これを話した い というのは一方的だいつも

話す練習・話す話題を決めておく(迷うよりは)

 

・カネコアヤノライブ(名古屋)は

またこれレコ発ライブツアーのときと変わって

変わりつづけていく

・井手健介と母船のCD

おかしい(いい意味で)!

そして柴田聡子

・移住と古書店開店計画の動機きっかけ何を観て思いついたか

これですわよ

 

ということを「くだらない雑談」として

話したいのか

内容が決まってる時点でもうくだらない雑談とはいえないのか

 

あたりがオレのテーマで

テーマってのはおおきいわけで

コレの

オレのようなもう友人さえも近くにいなくていいですよ

の人はじゃあなにか浮かんだものを

このような日記に書くわけだが

いっぽうで誰かリアルの人にそれを話したい

の欲ももちろんある

わけですがこれを話したいというのはもちろん一方的な

なわけですわね

 

話したいと聞きたいが一致するなんてほとんどない

だからラジオというのはただそこに流れているし

それをききたければきけば>?

というものであるから

 

ラジオのようなのが本当はいいんだけど

「これを話す~それを誰かがきいている」の確証が

ないと張り合いがない

という話もあり

これが「投げ壜通信」にもつながるわけですわよね

 

いいんだよじっさいには寂しさで死んだ人はいない

死ぬのはもっと錯綜した慾の問題だ