映画「からかい上手の高木さん(実写2024)」について

アニメ映画との区別のため実写と

いれた

 

主演 永野芽郁

監督 今泉力哉

 

さて・・・・・・

 

何から書けばいいやら

 

よくわからない

漫画原作を実写映画にするなら

「翻案」

まるで別ですって制作者が宣言してくれないかなあ

 

べつものであることはかくじつ

 

でも原作があるから設定はもってきているし

実際にマンガの様子は無しにできない

 

そこで

 

もやもやする


映画を見ながら考えたのは

西片が実写の成人男性として

そこにいるのに

・じじい体育教師からの扱いが中学生レベルである(社会人扱いされていない)

(いくら中学生のときの担任だったとはいえ・・・)

・恋愛に関してなどの認識がナイーブすぎて中学生レベルである

・この2つの中学生レベルはどちらも悪い意味でレベルが低過ぎるということ


つまり漫画なら「どーしよーもねえなこの男」だが

実写だと「奇妙な幼児性」である

成人男性として「おかしい=欠落の程度が尋常じゃない」のだ


ってこと

これが違和感ありあり


漫画げんさくキャラそのままの中井くんとか真野さんとか北条さんとかそのままゆえに奇妙な奴らであり


気持ちわるい

のである


だから映画オリキャラのまちだ君がいてくれて本当によかった


彼は不登校中学生ですが


まあ

高木さん(教育実習でやってきた美術の実習生)がまちだ君に声かけるんですけど

小豆島の山に上ったりするんですが

その中でまちだくんの彼の独自の考えとかを披露してくれて(彼は人間嫌いという設定であり人間とはつまり他人であり他人からなんらかの感情を向けられることの暴力性について吐露しておりこれは一定の正しさをもって高木さんにも伝わるのである)

話を前に進めるためにいい働きをしてくれている

それでいて別に脚本都合キャラというわけでもない

彼に告白してだめだったおおぜきさん(女子)もいい味だしてる

(おおぜきさんもまたなにかの自分の告白の暴力性を自認しておりそれで

西片に相談するのだが別になにかをしてもらいたかったわけではなく

単に誰かに話してすっきりして整理したかっただけのようでもあり

しかしそのシチュを利用して西片の「ただ誠実」という(ある意味

どうしようもない特質ではあるが)特質を映画の中ではっきりさせてくれて

ありがたい人である)


だから

高木さんと西片だけだったら

この話どうしようもない閉塞するばかりだったのである

(もちろん脚本の段階でそうならないようにまちだくんおおぜきさんをつくったわけでしょ)(必然)


だいたいなんで中学生時代と高木西片結婚の

その間の空白期を

映画にしようとか

何で実写なのか

売れそうだからか

まあいいけど


だいたい背景が

中学生時代の高木さんと西片が

エピソード積み重ねたくさん

有りすぎて

そんなの映画みる人は

知らないわけじゃん?


困る

 

まあでも映画みる人が知らないという前提は成り立たないわけで

そういうことを考えないでつくっているのかなあ

 

ともあれそりゃーー永野芽郁ちゃんですから

誰でも好きになるさ(中学生なら男子も女子もみんな彼女を好きに

なっちゃうタイプね)

 

そういうことです

ヒロイン映画

主演だし

エンドロール最初だし

TBS出資だし

 

小豆島はきれいだしあの三角屋根のある中学だし

海もきれいだし

いつも晴れてるし(晴れ待ちとかもしたそうです)

べつにわるい映画じゃないんだよ・・・・

 

でも西片の「男性としての異常さ」は

そもそもの恋愛コメディほのぼのムズキュンマンガ

を成り立たせるための道具仕立てではあるし

そこからはじまっている以上は

そうじゃない西片というのは矛盾であって成り立たないから

しょうがないんだよなあ

 

だから原作・・・・いやもうなんでもないです