大量の人間たち2

しかし(’ここでつづきを考えるようになったのが

オレの54歳というものであって)

 

さっき「2つ」書きまして

1つは唾棄すべきもので

もう1つはオレも抗えないものだと書きましたが

実はその2つは「両面」であっておなじことの両面かもしれにー

ということがある

 

つまり

我々の社会は「ある意味での協働をしなくては生存できない」から

はじまり

そうすると「社会」を「縛る」ことをはじめるのである

(ここについては社会の世界史で

かならずしもすべての「社会」が縛る社会ではなく

もっと友愛的とかゆるやかとか

縛りをゆるくしている社会もあったということが

近年の人類学の知見であるが)

 

その「縛る」統制の方面が日本では

なんかおかしな形態をとって自治会とか消防団のような

俗悪にして醜悪な形をとるようになってしまったわけです

暴力と使い込みと恫喝と村八分の肯定みたいな集団だです

醜悪以外のなにものでもないね

 

しかしこういうのが日本だけのオリジナル醜悪かというと

そうでもないというのが

人類の不思議だが本当だ

 

です

わよ

 

だから実際にはオレは抗えない事実と抗うべき醜悪さを分けて考えた

ほうがいいと言っているのである

’(なぜなら変更が可能であるはずだという信念にもとづいて)

 

このあたりは「最小国家」を考えたノージック

などが参考になるのだろうと思うが

思うんだけどねえ===~