4月25日(木)

はあやっと木曜まできたぜ

きたぜきたぜ

まあそうだぜ

 

朝はやっと雲がどこかへ流れていき

木曜なので夜明けをみながら車をはしらせおおきな

JRを越える陸橋をわたると

上からとおく東の山がみえて

東の山の上によこにながく覆いかぶさるような雲がみえた

雲はあきらかにひくく山を隠すようにひろがって

まるで粘菌が土の上を水平にひろくひろがって覆いかぶさるそして食う

粘菌は何を食うかといえば

 

菌類・細菌を食っているのだ(知らなかった)

 

解説

https://kagakubar.com/evolution/42.html

 

いわゆる物質循環があり

分解者としての細菌類・菌類がいることは知っていたが

さらにそれを食うのが粘菌(変性菌)であることはしらなかった

あのねば^ーとしたやつらはそういうものを食うていたのか

ふうむ

 

しらないことだらけだね

 

そのように朝はあさらしくかがやいていた

なにしろ高いところが好きだ

だから平な平原に「見晴らし台」みたいなのがあるといいね

 

士幌もそういうのの丘の地帯があるってきくよ

というかそもそもまったいらなどではないし

 

それこそ「銀の匙」(荒川弘)の舞台は帯広だときくが

ちゃんと読んでいないのでわからぬ

 

銀の匙とじゃじゃ馬(略(

は二大北海道自然牧場系大河マンガとしてちゃんと読みたいところである

オレにはそういうちゃんと読み返すべきというマンガが

多すぎる

リスト化して読みにいくべき

そうしないと一生読まない

そういうアレが多い

「そうしないと一生それしない」

海外旅行だって死ぬほどいきたいほどではないものの

その一歩手前くらいには「すごくいきたい」のである

 

すごくしたい

それをしたい

 

じっさい「旅」においては現地にいってから

ぽかーんとしてしまうこともあるので

事前のしらべも重要であるというのはこれまでの経験でオレが

学んだことであるが他人に言うほどのことでもない

 

旅の記憶というのは案外どうでもいい光景のほうが

脳にのこるもんでね

 

 

連続(してスタバに行ってしまう)

魂の救いを

求めて

昨日も今日もスタバにいってしまうが今日ははじめて

トリプルショットエスプレッソラテにしました

550円

こういうの毎日いくと破産するかね

オレの昼飯弁当なんて280円だというのにね

 

まあ読書はつづくわけです

所有の話がどこにつながるのか分からなくても

古今の哲学者たちはだいたいけっこう卑近なことを

言っている人間のしょうもない姿をとりあげている

そして石原吉郎は抑留における食糧の圧倒的不足において人と人が

ぎりぎりの対峙して2つにわけるという行為の緊張を書いている

のだそうだ

読むだけで胃がいたい

しかしそれはもうそうなると

相手が憎いとかそういうことではなく

相手は食糧を分け合い体温を分け合う生命のぎりぎりのところの

「相手」であって

しかも別れたあとは一切思いださないという決裂であり

つまりもう相手は人間であるようにはみえなくなっているのではないか

というのがオレの考えである

たぶんオレの考えは違うとしてもとてもじゃないが友愛のゆの字も

そこにはないわけだし

刃物で向い合うだけの関係性

 

ちょっと極限すぎて考えるも考えられないところである

日本軍とその戦争を生き延びた人の書くものは

水木先生もそうだが

壮絶すぎてわからなくなってしまうところがある

 

もちろん比較はだれでもそれをする(ヒューム)とはいえ

それが何か他のものと比較して一番壮絶だなどと言うつもりはない

 

夕食をくったので明日も早くおきるぜんていでさっさと

寝ることにする

三連休の前に明日と明後日はあつい日になるというので着替えフロ着替えである

外で肉体がバイトである

やりゃいいんだよやれば

おわりはくるしね

抑留にくらべたらなんでもマシだ

 

このようになんでも比較にいれてしまう

 

 

メモ(『所有論』つづき)

『思考の技術論』からの孫引きになるが

吉本隆明エンゲルスの集団婚姻から個別婚姻への想像を批判して

「人間が嫉妬から解放されたことなどいちどもない」と書いている

そうだ(メモつくった)

 

それと同じくなのか関連してなのか

ヒュームも「所有」の「人間同士でのたたかい」について

「誇り(自負)と卑下」「愛と憎しみ」という強い感情についての分析に書の紙を割いているそうな

(出典はヒューム『人間本性論』の所有の章ではなく二巻の一部二部だそうです 章立てタイトルをみよ)

 

そうだろうね==権利(あるいは所有)とか思ってたら

そこに他人に「分け与える」とか「許す」とかよっぽどのもんだよ

 

そしてヒュームは「比較でしか考えられない」ことを書き

それに関連して

ニーチェの「否」からシェーラーは「ルサンチマン」について書いたがこれもまた嫉妬?からのおそろしき否定の感情である

それは自分をまもろうとするこころでもあるんだってさ

このあたりぐさぐさくるね

先人はとっくにこういうことを考えていたってね

欧州人であるかなきか関係なくなるべく「人間があつまっている」

ところではみんなそうだねっていうね

 

そして石原吉郎がでてくるのでびっくりしたオレが

見聞きしてるもんおおざらえなんでも出てくるねこの著作

4月24日(水)

それこそ今朝いきなりおもいだしたが

オレが小道具バイトの末期のころとかも

いらいらしていたのか ーいらいらしてたでしょうよ

後輩に当たったりしてたからイヤな人間だったしなあ

そういう「ダメ人間度の高い」ことって自分で隠蔽してても

ちゃんといい脳の場所で覚えてるもんなあ

である

ちゃんとそのときの光景とか時空映像的にくっきりおぼえてるもんね

そういうことです

殺人なんかやっちゃった人もそうだろうね~~

 

週末みたい映画は名古屋に集中しているが一方であれはどうなったんだ

ミタソウナモノリス

これに時間と日をくっつけていく

・Pグリーナウェイレトロスペクティブ

「英国式庭園殺人事件」

「プロスペローの本」

・まだやってるんだ「夜明けのすべて」

・こころがあたたまるのか「Past Lives」

 

・中国の青春「青春」

・LBGTだけじゃない「異人たち」

 

このへんですかねリストは

 

障害者差別なのかそれとも(ファスト思考)

オレのなかにある違い

・NHKAM1で「単身認知症高齢者」を社会で支える(つまり金を使うー予算をつけるってことです福祉ということ社会保障費)必要がありますね!って

いうんだがそれはおまえは言うだけだから気楽でいいねえとか思って

 

実際オレは「高齢者はどういう認知症になってもほっとかれる自由ってもんがあるんじゃないの?だから予算つけなくてもさ・・」とか思った

 

・それより「老朽化した水道管を交換すること」に予算をつかうべきじゃないの>? 喫緊だしさ!

とか思った

 

・そのあとETVで「盲ろう」の「若き鉄ヲタの男」が「介助・通訳者」とともに鉄道の旅をする企画をみていたが

こういう人にはもっと予算をたくさんつけるべき!とオレは思った

わけよ

 

・ここにオレの「選別思考」があるわけだけどね

 

・なぜならオレは単身認知症高齢者の「不安な気持ちやその他」に

よりそうことができていないからだ

 

・べつに盲ろうの若者男によりそっているわけでもないが

 

・つまり「何も考えていない中でのファストのほうの思考がそういう答えを出した」だけのことなんだよ

 

水道管にしても昨日みたクロ現がショッキングだっただけのことだし

 

そのくらいオレのような小市民の脳はファスト思考でいっぱいなのだる

 

なのだる

バイトが肉体系なので
疲労にて
直帰宅したくないので
頭脳がリラックスしながら働けるようにスタバに寄って読書しているこうしていると魂が回復する

頭脳とか気遣いの感情労働の人の大変さとちょっと別のところにある

 

とツイッタに書いた

書いてからもうちょっと付け足したくなったのでここに書く

 

つまり

いまのバイト(週5 会計年度任用非常勤)は肉体労働であること

時給が1000円ちょっとなこと

判断や頭脳はほとんど必要ないこと(車の運転はする)

そういうことなのでオレは精神としては

気楽でいくことにした

なにしろ「技術を磨く」ことは求められておらず

まあ必要なのは「一応丁寧なおしごと」だけだ

一応 が頭につくのがポイントです

丁寧にやればそれでよくて特に時間スピード速くなくていいし

利益を生み出す部門でもない

そういうことです

 

だから肉体の疲れだけはある(体幹とかけっこう大変なので腰を

大事にしないといけないあぶない)

 

だからこう

バイトおわった夕方にスタバで読書したくなるのである

わかる

そう

まるで違うことがしたいのである

頭脳をつかいたいし読書したいし形而上のことを考えたい

のである

それをのぞみ希望し希求している

だって脳がおもしろいな~とよろこぶのだもの

あとスタバのカフェ・コン・レチェはおいしいつまりカフェオレ

ソイラテはもう面倒なのでたのまないことにした

 

つまり「したいことをする時間」が

オレのたましいにとって必要だって話しなんだよ

 

したくないことをバイトでしているのでね

(’したくないことは いやなこと と イコールではないので注意)

 

したくないけど金のためならしてもいいというのが

バイトである

 

だれも「無給でもこれをしたい」わけじゃないんだよ

 

魂はいつも自由なのでのぞみを貫く必要がなるのだる

あるのだる

だるだる~|~

20世紀のはじめ

それこそ

WW1の「戦闘」が

どうにも非人間的というか

欧州の戦場は水と泥で

もう20世紀だというのにただ爆弾で深く掘ってしまい

そこに水がたまって水のなかの塹壕で立ったまま長時間耐えていたら

水のつめたさで血管が収縮して足が壊疽になってみたいな

アホらしい悲劇だらけみたいな話とか

 

そういう「なんか効率もわるくバカバカしいだけの戦争」が

しかもテクニカルにはロー

というか後退さえしているというか

しかしはじめて世界戦争とかいうくらいの規模でやったらそういう

ばかばかしいというだけのものになってしまった

というかんじ

かんじ>?だったと

思うのだが

 

いっぽうで21世紀になったら戦闘というのは

・ガザにおけるイスラエル空爆とか

イスラエルとイランが離れている(’国境を接していない)にも

かかわらずミサイル空中から爆撃とか

のように遠隔戦闘で大量殺傷であったり(そこはテクノロジーはハイ)

 

あるいはウクライナにおけるロシア軍のように

憎しみ(>憎しみが主なのかそれとももともとの習慣なのか?)

による地上戦のあとつかまえて拷問して肉体きりきざむ系のことしてから

殺すみたいな近接刃物的な大昔からずっとある人間のいためつけあいだったりも

する

 

わからん

 

人間のおろかさちゅうか

 

それこそテクノロジーだけハイな最高値としての

科学の結集ゲンシバクダン核爆弾みたいなものは

もはやそれをつくった時点でもう人間の英知なんてもんは雲散霧消して

使ったら地獄で使わなくてもってるだけでも地獄で

互いに同時廃棄もできないしいまもあるし

バカのうんこまみれくらいバカなことが今もつづいている

のであった

 

としかいえないだろ

 

バカだらけで

恥ずかしい

くらいの歴史