水曜なのでザ・テレビジョン。モーチャンは、まあまあ。ふうん女王の教室の視聴率は全ランキングでベスト20に入ってるんかー。電車の中で読んでいる。飽きた。とっかえ。図書館でかりてきた「バトル・ロワイヤル」の続きを読む。映画の公開当時、友人に「小説の方はちょっとちがうところもある」と聞かされてはや幾年、やっと読む機会に恵まれた。しかし脳裏に浮かぶ中川典子さんこと前田亜季さん。ああいう頤の細い子が好き。もちろん雅ちゃんも好きだよ!強調するほどのことか。ともあれバトル・ロワイヤル。これを読むにつけ、こないだの「子供たち怒る怒る怒る」のことを思い出す。あれの「牛男」。人間じゃない。しかし牛でもない。というか、動物ではない。ああいうタイプの「人を殺すもの」が出てくる。バトロワの殺人者たちは、皆人間だ。殺すのも殺されるのも。そういう描き方をしている。しかし、「牛男」の殺人は、人対なんだかよくわからぬもの、の対決だ。突然思い出したが、「虚構船団」。あれの文房具たちは、「牛男」よりも遥かに人間だ。人間らしい。そう、私は「人間らしい」ということについて考えている。我々が、それが人間かどうかを判定する方法は、見て、話して、感じて、その姿形と動作振る舞いが人間らしいかどうかを受け止めているのである。ここにはトートロジーがある。「人間らしい振る舞いをするものが人間である」。そういうものなのである。