よる

ダフト・パンク「Random access memories」きく。なんだかちょっとメロウだなあ。
 
今日はひるまに「扇風機とサーキュレーターの違い」を読んだ。へえええ。そういうことなんだ。
 
 サーキュレーターなるものをはじめてみたのは、専門の同級生の家にあそびにいった時である。
 彼はもと銀行員でスポーツは水泳でナイスガイでインテリアにも凝っているのでへやが大変きれいである。
 その部屋にサーキュレーターがあった。空気を攪拌とかいっていたが、そういうことだったのね。ちなみに彼が好きなのはニトリと無印である。
 あと彼からはスーツを二着もらったり(体形が変わったので着られなくなったと言っていた。そのスーツはオレにぴったりだったのだ)、社会人的にノーマルにみえる書類入れバッグを買うのをつきあってもらったり、家電見物で池袋ビッグカメラに遊びにいって有機ELテレビの実機をみておおおおおこの画面のきれいさは何!!とか驚いたりしたものだ。
 ナイスガイだなあ。いまは音信途絶えているがまあたぶん元気だろ。しらん。
 
 さて。
 
 いろいろ回顧しつつ毎日はライブで進行している。さっきはアフリカについて読んでいた。アフリカってひとまとめにするなと怒られるだろう。すみません。サブサハラです。
 具体的にはアンゴラ
 
 ポルトガル植民地だった関係で、いまやポルトガルから失業者がやってきたり。あるいは中国から投資とともに労働者までやってきたり。内戦の終結の後に資源をもとめてハイエナメジャーがやってきたり。石油、ダイヤモンド。
 
 そこで生じている事態は、ともかくも体制を整えることが大事で、お金の投資でも人的投資でも、投資がきてくれるなら全部ありがたい、という感じ。それによって教育がはじまり、開発がはじまり、インフラの整備がはじまる。
 
 一方で、人間のもつ社会を構築するという性格について、なにか大事なことが成し遂げられたかどうかはあやしい。
 
 ものを盗むな。人を殺すな。問題は話し合いで解決しろ。機会は平等にせよ。
 
 別にアフリカを遅れている土地であると見る気は無い。どんな基準もありうるのであり、遅れている進んでいるなんていうのはどうでもいい尺度だ、しかし世界はひろくて社会の安全というレベルは千差万別だ。
 
 日本はどうしようもない政府をかかえてひどい国であるがそれでも何かが機能しているので「銃社会」ではないし、山賊の横行もないし、マフィア的なやくざなどはいるけどそれはあくまで突出した部分をターゲットにしているので突出しなければどうということはない。
 
 それでも日本には殺人も暴行もあるし悪名高き「いじめ」がある。いじめそれ自体は世界中どこでも存在するがとくに日本国の中学校高校あたりのいじめの凄惨さは当然閉鎖性が最大の問題。
 
 閉鎖性があるというのは「基盤ができていて社会の根本が揺らがない」からこそ起こるという逆説がある。
 
 どっちかというと日本社会は同調圧力と閉鎖性と現状維持希望勢力でがんじがらめである。
 そのままうごけないまま子供が減っていって自然に国力が衰退するのがありうべき未来だ。
 それをひどいというべきか。
 衰退に際してパニックを起こさない範例になりうるのか。
 
 アフリカ諸国は今後も人口が増えていくのかね。どうなのかね。たぶん増えるんだろうなあ。食い物足りなくなりそうだね。