どこがとんがってたかなんて恥ずかしくて書けませんよ。さて。誰でもそう思うと思うのだが、本当に一生懸命やっている人がいたら応援したくなるじゃないですか。今、テレ朝みてたんだけど藤原さんが娘。を応援したい気持ちってすごくわかるじゃないですか。それを横から手叩くから振りやってやってとはやしたてる眞鍋かをり。ちょっと他人ごとながらムカっときた。やっぱり来週アニスパにやってくるしょこたんくらいじゃないと分かってくれないんだ。話が混ざっている。眞鍋さんでさえ、多分世間基準からすればましな方である。すくなくともバカにしてはいないからだ。深夜バラエティについて何をこんなに。話を戻せ。
戻って、「ライブアライブ」である。ハルヒが普通の人に見える。本当に、思いがけず人から感謝されるなんて。何を学んでいるのだろう。というか。はたしてそこはハルヒが中学までに学ばないできたところなのだろうか。
ハルヒについて、なにかを、リアル人物であるかのように想像するのは難しい。お話としてどうこう、とか、キャラとして素晴らしいフック、と考えるのは、比較的面白いし気軽にできる。でも、そういう実在の人物がいると仮定して、その人物について真面目に考えるのは大変むつかしい、ハルヒだけではない、キョンだって。それからあと3人については、そもそも「現代の、地球の、通常の人間の能力しかない人間」ではないので実在の人物としての想像が付かない。それなりに「現代(略)」ではないための苦しみなどはあるとは思うのだが(もちろんたとえばなのだが、筒井著「七瀬」で七瀬が感じる苦悩とかならそれが主題なのだし想像とか共感とかできるが)。でもお話として「ハルヒ」ではあの3人は薄くならざるを得ない。書割的。なので置いておく。
キョンはおっさんである。たまにしか高校生的エートスを発揮しない。キョンこそが現実の高校生男子から遠くかけ離れている。
ハルヒについて、考えるのが、実は一番「現実のリアル女子高生」を仮想共感するのに適しているのかもしれない。ただ、言動がおおいにデフォルメされているのでぶっとんだ性格に見えるだけで、そこの脚色を剥がしてみてみれば「積極的性格」「思ったら即行動」「人智を超えたものを探している」「キョンをまきこみたいと思ったから巻き込んでいる」「ウソつかない」「まっすぐ」「自分の信条と世間との齟齬について不条理感を感じる」「ときどき、苛苛する」などなど。そんなことは普通の高校生はいつも感じているし良く感じているし、36歳の私もよく感じている。積極的なまっすぐなところは、私もかくありたいと思う。
ともあれこうしてぐだぐだ思ったことを書かずにはいられないようにさせるようなアニメは優れたアニメである。あとやっぱり「詰合」CDも欲しくなってしまったし。なんかね。あの曲に、普通の高校生の、爆発させたいようなもやもやしたものが沢山詰まっているような気がして。