みなみけがアニメで見るとちがうものに見える。

いつも月曜の朝まわしになってしまう「みなみけ〜おかわり〜」感想。バレンタインの回をうまいこと30分にしたてあげるのはいい。いいと思う。さいごまでチアキが誰にチョコをわたすのか、わかっていてもドキドキできる。しかし、アニメであの行動(単に他人のチョコをくいまくりのカナ。おまえは原始共産制ジャイアンか。)をみていると、ただの、無法者(許せない)になってしまう。多分演出の方法なのだと思う。思うが、しかし、実際漫画原作でもやってることは同じなのだ。もはや媒体の違いとしか思えない。おなじことをアニメでやると、なぜか、より、リアル社会に近づいた分だけ、無法な行動が、稚気にあふれたふざけたものから、単に他人の「そのチョコを大切に思う気持ち」を踏みにじったひどい行動に入れ替わってしまうのはなぜだろうか。

がしかし。そこであらためて原作をよみなおす。
あーわかたあ。わかった。つまりあれだ。私の強引な解釈であるが、今回の話は原作27話「いっぱいもらった」にて、学校でモテる男からチョコを集めまくったカナ(カナはそれを食いまくった果てにしょっぱいもんが食いたいとのたもうた)、そして47話「気持ちだよ」にてはカナは自分がチーズレモンカスタードシフォンパイ(以下、チと略す)を食いたいだけのためにチアキをだまして「ハルカがチを食いたいと言っていた」と騙ってチアキにチをつくらせた上で自分が食うという強奪、その2本の接ぎあわせだ。いちおうポイントとしては
・カナは食べ物の製作には一切かかわっていない
・カナは食いまくり
・カナはチアキのこころをふみにじっている
・47話とアニメの共通点は「ハルカのためにつくったものをカナが強奪する」
・アニメと27話の共通点は「カナは単にくいまくり」
さてしかし、47話でのカナは、自分がくいたいものを、嘘をついてチアキにつくらせてそれを食うという、かなり手の込んだ詐欺っぷりをみせている。それに比較してアニメでのカナは、伝統行事としてのバレンタインデーで手作りチョコをつくるチアキのチョコをまず食って、その後に、さらにハルカからチアキがもらったチョコ(当然チアキはすごく喜んでいる)を、またしても食うという悪辣ぶり。というか、手の込んだところが全然なく、単にあたまのわるい(権謀術数など使うこともできないくらいの低レベル)手くせの悪い姉である。
 詐欺師の方がまだましである。
 そこで思い出したのはカツオくんである。彼はけっこう、頭をつかう。いたずらにしても手のこんだことをする。悪いガキであるが、憎まれることはない。あの世界には憎まれる姉弟関係は無いのである。
 かえってみなみけであるけれども、この三姉妹でも、いくらバカ野郎と連呼していても、憎むような関係は無いはずなのである、本来。みなみけの本質はナンセンスだと思うから。でもなんとなくおもろいとか、なんとなく黒いとか、そーゆー「なんとなくくすぐられる」感じがみなみけのいいところだと思うのである。そこに何か、むき出しの単純な、ひとのこころをふみにじって何とも思わないような酷薄さがあってほしくないんである。
 まとまりないけどおわり。