カイバ関連できている人がいる。うれしい。
絵がうごく、アニメというものについて、それを見て、キャラが動いて生きているというふうに理解する(記号であることを了解する)のは結構訓練がいる。少女漫画をはじめて読んだ人間にはその少女漫画の記号は全く理解できない。はじめて「きみとぼく」を開いてみたときは衝撃だったなあ、なにもわからんかったし。
というかものごとを理解する手がかりというものは直観しかないという説もある。
で、話はカイバに戻る。カイバはきわめてわかりにくいアニメだとおもう、その絵についていけるかどうか、その絵をみてキャラであるとわかるかどうか。すごく言いたくないのだがいくつかの絵はダメオヤジに似ている。その気味のわるいところが似ている。ダメオヤジは気味のわるい漫画だった。いっとくけど後半のなんかネイチャーになった部分ではなく、オニババがひたすらダメオヤジをいたぶっていたころの話だ。本当に気味がわるかった。そのころ私は歯医者によく通っていてそこには楳図せんせいの怪奇漫画がたくさんあった。楳図先生の漫画は確かに怖いのだが、あるいみでは逆に完全なフィクションのようにも見えた。だいたい頭の中身がいれかわるのはSFでありSFはいまオレの生きている世界とは別の世界のものだという理解ができた。しかしダメオヤジを読んでいると、この話はオレのいまいるところと地続きの、つながった世界にあるじっさいにあるこわい出来事にしか思えなかった。そしてオニババのもつ武器はとてもおそろしい尖ったものであり、ダメオヤジはしょっちゅう血を流し頭を変形させ涙を流していた。なんてこわい話だ。ただ即物的にこわい。
なんでこんなことを思い出したのだろうか。
そうそうカイバの話だった。カイバの中で描写されるエロいシーンと叙情的なシーンと、そして多くの死と、多くの記憶の吸い取られるシーン、死んだ人の記憶が卵となって流れるシーン、すべてがその世界での確かにあるものに見える。その世界というのはカイバの世界で、その世界はオレのいるこの世界と地続きではないけれども、それでもその世界の「確からしいこと」の確度がすごく高いことはありありと感じられる。そういうのが「よくできている話」だと思う。