東海ラジオは偉い。普通の編成でえらい。QRとか今日はひどいもんだ。やきゅーのびのび。NHKに任しときゃいいのにね。
ほっちゃんのラジオ聞きながら思ったが。もちろんほっちゃんのことは好きだが、それは単に友達付き合いも仕事関係でもないメディアごしのアレだから好きでいられるところはある。まあ公開録音でみせる姿がどのくらいあらわしているかという問題はあるものの。
それで。年齢的には永遠の17歳ほっちゃんも既婚女性カテゴリに入ってきておかしくないのだが、テイストとしての「鬼女」とはぜんぜん違うだろう。何がちがうかをうまくいうことができないけど。そもそもなにかを分かりやすく論理的にいいたいならば、「定義」をはっきりさせるべきなのだが、ここで困るのは「鬼女」という呼び方が何をさしているのかが人によって違うことと、さらにオレの中での「何をさして言っているのか」さえもはっきりしないことだ。
 
電凸のおそろしいところは、攻撃すればつぶすことができるところである。しかもこの攻撃は、攻めるがわがほぼ匿名だから、キズつくことなく、的確に攻撃ができる。意志があればおおきいものもつぶすことができる。勝ち負けというのはあとになれば「勝った方が正義」になるので、負けたほうには倫理的悪があったとすることもできる。そのときどきの社会正義にあわせた形での善/悪の区分がなされる。攻撃側は、大勝利を得て自分満足することができる、あんな悪は滅びて当然と。
ここに無いのが「話し合い」とかの交渉である。
問答無用。戦いをはじめると決めた時点から、つぶすまでやっちまう、という決定ができて、終わるまでは終わらない。途中で話合いなどもってのほかである。
敵というものにされてしまったらおわりである。
 
思うのだが、ハロヲタなんかは特に、「世間とかいうもの」が自分たちのことをどう見ているかをよく知っている気がする。知ってどうするかというと、あきらめる。交渉の余地は無いからである。見下げられててもかまわないと考えるしかないんである。気にしないほうがよほどいい。ラクだ。
 
はたして攻撃を行う側が、自分たちの正義の度合いをどのくらいのものと見積もっているか。所詮自分の判断はろくでもないものである可能性が8割くらいだと見積もっていると。
かわいいは正義だなんて二次元の中だけの話なんだきっと。