当落

夏ライブ Buono!2
昼・当選 夜・落選。
こんなもんだが、1枚確保しただけ、よかった。なにしろFC限のライブだからなあ。
 
それにしてもなんか疲労感みたいなものを感じるのはどうしてだろう、と今日同僚に言ってみたら同僚も同じ感想だった。忙しいのだろうかうちの職場。まあある程度は忙しいが。あと気をはるというか事故防止というか。いろいろと。まあいいさね。
 
XEBIOでステッキかう。これで双子池をめざすんだー。
というか週末天気が心配。くもりか。
 
さいきん老人とばかりつきあっているせいか終末について考えることが増加していてこれは健康なのか不健康なのか。まあどっちでもいいけど。さて終末というのは誰にでも訪れるものであるがそれをいいものにするという目的でそれまでの人生をすごすのはバカバカしい。しかし、完全に「今現在主義」をつらぬくと、今現在が充実するかわりに明日食べる飯がなくなる。要はバランスである。適当な。あるていど軌道修正できるような。そうですよね。まあ誰でも理想の死をイメージするとポックリということになるがポックリというのは本当にたいへんである。健康でポックリというのは原理としてありえない。心筋梗塞だってそれを引き起こす原因があり、原因はカテゴリとしての「不健康」に分類される現象なのである。健康な突然死というのは本当に稀だ。というわけでポックリよりは自然死。だんだん死んでいく。ゆるやかに。だんだんといろんな機能が低下していく。痛みもなく。となるとこれはだんだんと意識も低下していくということだ。意識や、認知が、ゆるやかに低下していくときに、まるで入眠のように安らかにいけるだろうか?オレはそうはおもわないね。少なくとも認知の低下に関して、見るかぎりではいくばくかの恐怖を感じている老人の方が多い。自分がだんだんわからなくなっていっていることを自覚するのである。その恐怖。
 かく考えるに、安寧な死など存在せず、バランスをとるとともに、どちらかというと比重は「健康である間のたのしい」の方に片足と重心を置いておくのがいいんでないのってゆうとりあえずの結論。こんなこと考えてる暇があったら自転車のブレーキワイヤの調節すべきだね!