水曜なので、ひたすら火曜ANN久保能町を聴く。
たのしい上にたのしい。つらい楽しい大好きですから。
今週は毎日軽い頭痛と膝周囲の軽い痛みが続いており体を休めてり。
まあいいですよなんでも。
わたくしは
quote over 100notes jp
というサイトをけっこう時々みているのだが、ときどき恐ろしいものが載っている。
衝撃的なものもある。まあこれタンブラーなのだが。そして衝撃的なやつに限って、実際にそのところを見にいくともう消えていて404なのである。
こわい。
能町さんの弟がANNを生で聴いているのだねえ。うつくしい。
おそろしいやつというのは例えばこれから自殺しますみたいなやつです。
てゆうか絶望とかあんたは社会から誰からも必要とされていない人間だみたいなのとか侮蔑とか罵倒とか、ああそうね罵倒はイヤだね、しかしでも自殺するほどの強いものは無いわオレには、いまのところ。
たとえばいまはサンバーちゃんに乗っていますけど、3代目の車として何にのろうかなーという妄想をするのは楽しい。おそらくそれは5年後であるから、そのころにアイサイトはどうなっているのかな、とか。考える。
思うのはラグジュアリーな車にのりたい。オートクルーズ。衝突回避ブレーキ。
さてさっきのquoteさんから一個コピペする。オレが昼間に仕事しながら思ってたことと同じだから。
”本来、年寄りはどこか具合の悪いのが正常なのです。不具合のほとんどは老化がらみですから、医者にかかって薬を飲んだところで、すっかりよくなるわけではありません。昔の年寄りのように「年をとればこんなもの」と諦めることが必要なのです。ところが、『年のせい』を認めようとせず、『老い』を『病』にすり替えます。なぜなら、『老い』は一方通行で、その先には『死』がありますが、病気なら回復が期待できますから。”
― 医師が驚きの提案「死ぬのにはがんに限る。ただし、治療はせずに」 - 速報:@niftyニュース (via shibata616)
(via gscube)
というもの。
元アドレスを見てみましょう。
あら、ありませんね。
どうしてどうなっているんだろう??
とはいえ。そう。オレは今日思っていたことは認知の歪みや低下についてである。
どうして人間は世間は「認知症=ボケ」を、他の精神疾患と区別しようとするのだろうか、である。
もちろん認知症にもいろいろあって、脳血管性、アルツハイマー性、ピック病、若年性、いろいろあるさ。
でもみな「バカになった」と思われている。
ここでは学術的なことを考えるつもりはまるでない。
単に、もし認知症が認知症という「病気」であれば治る可能性もあるという化粧を施すことができるのかもしれないと思ってる人がいるんじゃないか。ということだけだ。
残念ながらすべての認知症はオレの知るかぎりでは一個も治る回復するものがない。改善できうるものは周辺症状だけであって、中核症状はいまだにまったく回復しない。
でもそれは他の精神疾患も同じなんじゃないのか。
鬱のような、薬効めざましいケースがあるものもあるけど。
そうなのだ・すべての老人は死に向かって歩んでいる存在である。老人を治療してどうなるのだ、という言葉を完全否定はできない、どんなえらそうな奴でも。
そういうわけでこれからどんどん「病気」じゃないけど「おかしくなった」人が老人として存在を増やしていくのである。
もちろんオレもそうなるのだ。自殺はしたくないが、きれいに死ぬのはとても難しくなっていくだろう。まあ諦めるのがいいかな。