以下の写真はtwitpicにうpするためにまず携帯でここにうpしたという話だ

ターサイ

油で加熱

マルタイ棒ラーメン上に乗せ完成

 
 というわけでここ2日3日くらいTwitterの何がおもしろなのかいろいろしていてゆかり姫をフォローしててフォローなんてするもんじゃないかもと思ったりもしたりしていろいろしてるが伊集院だけはがっかりしたり幻想壊しすることなくて最高だ。そもそもオレは伊集院のことを呼び捨てにできるし幻想ももっていない。あたりまえか?当たり前ではない。彼は一流芸能人だしオレは彼を羨望の目で見てもいいのである。しかしそうではない。このへんが彼の唯一無二の立ち位置を表しているのではないだろうか。もちろんオレはかつては熱心な馬鹿力リスナーであり、聴けなくなったのは年をとって深夜に弱くなったのとバイト時代の朝5時起きのせいである。録音して聞くのは邪道と思っていた。いまはゆかり姫のラジオは録音だがそれはここで聞くJOQRに朝鮮電波が混ざりすぎるための救済措置である。
 こうやって姫とか書いているが、実際のところは。
 もちろんラジオの中でのパフォーマンスについて姫と伊集院とは共通点がありありなのである。一例を挙げれば自虐だが。
 しかし今ここではっと思った。
 伊集院の立ち位置が芸人の中でもちょっと独特であると同時にゆかり姫も「アイドル声優」たちの中ではイメージとしてある種の独特なのではないか、と。
 
 つまり超一流が何なのかわからないがまあはてな言及数四天王ってのがあってさ。姫は確実に何年もそこにいるのである。
http://d.hatena.ne.jp/kkobayashi/20100110/p1
「2009年女性声優言及数調査@はてな」−エネルギー吸収と発散
まあそれに横アリ武道館の経験とかをいちおう基準にしてもいいんじゃないかなアイドル的には。
声優としてはどういう基準を設ければいいのかしら?ラジオ?主役数?はてさて。
 まあそんなのわかんないけどさ。
 わかんないけど声優の場合とくに声演技だけではなくラジオ媒体でのしゃべりが伝統的にそのイメージ形成には使われてきた。声ですから。そしてそれは、かつてはいかに地上波ラジオのいい時間をもらえるか、にかかっている。
 かかっているのではないだろうか。
 ここでオレは
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9E%97%E5%8E%9F%E3%82%81%E3%81%90%E3%81%BF%E3%81%AETokyo_Boogie_Night
を見にいった。
林原めぐみのTokyo Boogie Night
出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』
である。
ここでオレははじめて「林原が本人の活動方針上コンサート活動を行わない」ことを知ったのであった(そうなんだ!)
 
そういうことを加味していくと、やっぱなんだろう、声優さんだってものすごくいろんな人がいていろんな個性があるんだねえ活動のやり方だっていろいろだわー、と思うのであった。
 結婚したあとでもついてきてくれるファンがいるのはいいねえ。姫も結婚すればいいのに。