続き

というのは、いまやってる仕事というのは、何ができるか、何がしたいか、何ならできるのか、何が嫌か、何なら妥当なところなのかを熟慮吟味した上での決断なので、
そうオイソレと変えるわけにもいかないのである。
そしてこの仕事が、ある程度以上の確実性を持つがゆえに、かえって「どこでもどんな土地でもできる」ものではないのである。
例えば証券取引をコンサルティングする職の人は電話とネット回線または無線インフラがあればどこでもできるだろうか。どこでも。小笠原でも?与那国島でも?

人が「リゾート」に(旅行先として)憧れるのはいいとして、住む場所を選ぶときには、「仕事場に近い(通勤可能)」という面がまず挙げられるだろう。

リゾートに、仕事そのものがあればいいのである。

いつも思うのは、インドでもマレーシアでも、観光業のタクシー運ちゃんは向こうから積極的に声をかけてくる。客引きである。リキシャのドライバーもダメもとで声かけてくる。
煩いときもあるが便利なときもある。彼らが居なければA地点からB地点への交通機関がないし道もわからず。
こないだ伊豆に行ったりした。バス便が一日6本とかのところである。宿はネット予約、移動は自家用車。目的地にストレート、行き方に苦労はないし不安もない。
地元の人との会話なんて最小限である。
多分雇用の縮小ってこういうことだと思うの。

リゾートというか(観光業)、自然力のある場所というか(農業漁業、加工業)、土地そのものを依って立つ基盤とする仕事は、沢山の人の雇用を賄うようなスケールではないだろう。観光だって人が来すぎたら荒廃していくし。