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娘。新メンのバスツアーにて譜久村さんが特等席を唄ったそうだ。
 
 超なつかしい。
 
 ごっちんというか後藤さんの曲で、手握のカップリングである。オレもこれ聴きこんだ。名曲である。個人的にはミキティさんの幼なじみと同じくらい名曲である。
 
 なんかそれだけでうれしくなった。フクちゃんは顔が好きなので応援してます。
 
 今日は職場で激怒してそのために午後ずっと影響をうけており、しょーがないので本を4冊買って帰ったのだが、それでもそういうときはピンチなので普通に接してくれる職場のかわいいナースさんは頼もしい。ありがたい。
 ところでかわいいナースさんというのはいうなればあれだ、夜店の射的のあたり商品みたいなもんで、店の客寄せにおいてるようなもんだ。
 
 買った本は
 
日本をゆっくり走ってみたよ(2) (アクションコミックス)怒らないこと 2―役立つ初期仏教法話〈11〉 (サンガ新書)アスペルガー症候群 (幻冬舎新書 お 6-2)稼ぐ人はなぜ、長財布を使うのか?
である。恥ずかしい。とくに長財布の本がはずかしい。しかしまあ、ポイントは10年後の自分を意識するとかなんとかのくだりである。どうでもいいというか他人からの評価はどうでもいいと思っているしそうであるべきと思っているが、自分で自分に対してのオレの自己評価の10年後という像は大変に重要視するべきと思っている。そのための長財布。
アスペルガー。この病のありかたは、大変に気になっている。前から。どうもこれは病というよりも人格のひとつの在り方だと思うのである。性格にいろいろな性格があるように、人格にもいろいろな人格がある。普通の社会人のように見えて実はというのはよくある話で、普通なんて、いない。おかしいやつばかりである。おかしいというのは公正でなかったり性格が異常だったり他人を脅迫したり犯罪を隠匿したり、職務に不忠であったり改竄であったり怠惰であったり強欲であったりするやつのことである。皆、クズなのである。そのように思う。そのように思う立場からするとアスペルガーなんて些細な問題にすぎないと思うのである、むしろ社会の悪からみれば良い人なのではないかと思うのである。そしてオレも自分が成人アスペルガーなのではないかと疑っている。そのために買った。
怒らないこと。まえから立ち読みしていたが、今日はオレが激怒したのでその記念として。自我は無い。人間の生というのは事象であって固定された物体ではない。流れる事象は実体ではない。そんなかんじか。
 「日本をゆっくり走ってみたよ」いきなり2巻。アクションに連載されていたのかなあ。本屋でたまたま見かけなければ、まずめぐり合わないタイプの漫画だと思ったので、買った。絵の感じが、故・青木雄二先生をおもわせるものだ。青木雄二先生はオレがモーニングを愛読していた時代のスターである。1990かあ。大学生だったと思うがどうだろう。部室はいろんな漫画をタダで読めてたいへんよかった。
 そうか、アクションは月2回刊になったのだね。
 
 なんにせよ本屋はなくならないでほしいものだ。電子とかが普及はするだろうけど共存できないかなあ。4冊で3800いくら払ったけれど、対価としてはぜんぜん安いと思っている。いくらクラウド上にいつも存在しているとはいえ、機械、デバイスが壊れたり停電したり、充電がきれたり、電子はいつもよめないリスクを負っている。本そのものの物体としての安定性はどんなときも形として存在して読めるというものである。半永久的に。そのメリットははかりしれない。共存してほしい。