あさ

LOがまだ届いていないのは、ひょっとしたら郵便受けからの盗難かもしれないなあ。鍵とか当然ないし。毎月くるの知ってればなあ。そいう可能性も考えないとなあ。ヤだけど。
 
江崎史恵アナは今朝もかわいい。マスタード色のおちついたワンピースかわいい。
 
朝メモ・BD−Rにいまうつしてるのは怒り新党の5^6月のやつ計6本だよ。
夏目ちゃんの存在が世界遺産
 
シロクマの先生のところに「自己中心的な若者」より「自己中心的な老人」のほうがヤバい
というエントリがあった。有名なのでURL略。
先日の店長の「同世代のおっさんたちが遠い」もそうなのだが、
共通点としては
「規範とされたような規定の路線や倫理観が、共有されなくなった」ことだと思う。
 
おっさんはみんなおっさんで、おっさんのための雑誌を読むとか、
ジジババは年月をへて丸くなり寛容で社会全体のことをかんがえて若年者の模範であるとか、
こどもは大人の背中を見て育つとか。
 
 これら時間の(自慰感っていま変換されてこれGOOD)流れにのっとった「あたかもしぜんの摂理」のようにおもわれていた内容が、最早なにも通用しないし、ひっくり返っている。
バカな大人がはるかぜちゃんに説教されるってことである。
 
もうひとつ。何に接しているかで人間の年齢のとりかた(変化のしかた)がすごく変わっている、店長の言うネットに普段接しているというのは取捨選択の中に最新の内容がいやおうなく入っているということもあるし、それは「若い人と接しているのが若さのひけつですよ」みたいな感じである。
 美魔女とかいって40や50のおばさんが若いメイクをして出てくる。
 まあ年齢は誰でも自分のすきなようにとっていいことになったのである。
 
 だがそうなるとどうなるか。「年長者も若年者も同じ」ということは経験によって得られた知見なるものが無になるということだ。年功賃金上昇は否定されるのである。
 まあいきなりそうなるわけじゃないけど。
 
 経験が無であるわけはなく、経験というのは個人にとってとても重要である。しかし人間の間ではどうか。誰もが自分自身によってしか経験を積めないというのは「全部やりなおし」である。
 
 とか思ったのね。