まあ、調子はいいです。湿気で疲れるけど。帰ってくれば夜は涼しい。
なんとかなっているが、考えてみるとこれまたおかしいところもある。
あるけどべつにいいや。
最近考えていること:
どうして特定の政治信条宗教嗜好について言うこと述べることがなにか「そこまでの」みたいな扱いを受けるのか。
たぶんそんなに皆それぞれ他人を知りたいとも思っていないということだと思うのである。
まあ、家族でもなければ親友でもない人の深いところまで知りたいとはなかなか思わないわな。
しかしまあ。信条というのはあるのである。たとえば保守である。たとえば革新である。
右である、左である。
他国についての考えなどはとくにこのような信条のいろいろにかかわってくる。
愛国という言葉は、我が国、この国を愛するという単純なところから出発して、「右」に変化して、さらには「在留の中国人韓国人はすべて敵である」ところまで敷衍してしまう。
いろんな人がいるのにね。
国なんてものは簡単にひっくりかえると思っておいたほうがいいのではないか。歴史を学ぶとそれはわかる。為政者が誰なのかによって簡単にひっくり返る。そして、いままで歴史の上にいろんな政体がありましたがそのバリエーションはさまざまなので、またどんな王政復古があるかわかりませんよ。
愚民の下層民はそういったことも想定して生きていかないといけない。
まあでも基本は「他人の言うことなどききたくないし、そんな言葉に従うくらいならしんだほうがマシだ」という姿勢である。どうせ老い先短い身であるし、他人の指図はうけねえよ。である。
それは近い人であっても親であっても上司であってもその他の国家権力であってもすべて同じである.