過去を見て、そこから未来を見ると、死を思う。
宮澤賢治の番組を録画したので、見た、Eテレセレクション。1996なのだった。
そこには過去の渋谷が映っていたが、ひどく昔の過去に見えた。
平成8年なのだが。
でもオレにはひどく昔の過去に見えたのだ。
平成7年とかは1995であり阪神淡路大震災とかオウムサリン事件とか起きているのだが。
もちろんオレには当時の記憶がある。オレは25歳だった。今でもなにものでもないが当時もなにものでもなく、おまけに若く、バイト人間だったし。
当時からオレは浮遊しており今でも浮遊している。
過去が既に歴史であるということを実感すると、オレはいま生きてはいるけれども、簡単に死が訪れて、この今の瞬間もまたすぐに歴史と化していくのだとなんとなく思う。
いまTVをみていると板尾さんがモンゴルにいって草原で馬を見ていて草原ははるかに広くてどこまでもつながっているようだ。青々としてまったく広すぎる。・
モンゴルが世界帝国だったときが歴史の中にあったことも知っている。
知っているがそれは過去のことであり、そう、歴史だ。