あさ

朝である。5時起き。早起きなのではなく早寝なだけである。
 
深刻な話。オレが信頼する日記の書き手の方の話であるが匿名で。
 
 テーマは「独身で趣味生活をしていたが危機がきた」である。
 
 こんなことを書いていていいのか。申し訳ないような気もするが、他人事でもない(他人ですけどシチュとしては共通の枠組みを感じる)ので、書いてしまう。朝のいきおいで。
 
 危機とは、趣味を全開できる週末週休2日を、職場の都合でかなり犠牲にしないといけなくなって、趣味もできないんなら生きてる価値もないという絶望感である。
 
 たしかにそうだ。オレもrazikoの危機のときはもう東京方面に引っ越すかとか思った。ラジオはかなりの範囲を占めている、オレの脳内の。
 その他、アニメについてはネットがあれば大丈夫、本もネットで買える、オレについてだけだけどアイドルの人のライブいくのと握手会いくのはもうかなり前に諦めた、そこまで情熱ないことに気づいた。声優の人のライブにはぽつぽつ行くがもう無理しない。泊れるときにはいく。
 
 でも時間と場所が限定されてるものについて、そこにその時に駆け付けないといけない趣味は大変である。苦労である。そして職場がそれを許さないと。
 好きなときに休みとれないというのはよくあることではあるが、それが特定の「休日出勤」となれば話は別である。
 
 そんなときに考えるのは趣味が、自分一人で行う趣味が、いかに生活とくに精神生活の中で多くの重要な位置を占めていたかということだ。これが生きる支えのような。
 
 オレにとってはそれはラジオテレビ本漫画のメディアだったということがわかった、わかってきた。それらはすべて日本全国で享受できる、いまのところ。
 そしてあとは人間関係なのである、主に職場での。
 
 家庭というものがあって、いままでの常識、いや大正あたり、いや昭和の戦後からの短い常識ではあるが、「社会、仕事、そして家庭」というのがある。幸せをつくるピラミッド。社会の安定(平和)、仕事がある(失業率)、そして親と子のそろった家庭がある(核家族あるいは多世代家族)。
 社会学ぽくなってきただろうか、いやなんちゃってである。
 
 このあたりがそろっていないと幸せとはいえないというか、このあたりが揃っていないやつは憐れむべきやつ、という人もいただろう。
 現代、現在、その自明と思われていた定理は根拠を失ってはいるのだが、それでも、たとえば家族をつくること子供を育てることは「人間としての最大の価値である」といいきって憚らない人がいて、これは絶対に間違いないというのである。価値最大を宣言したりしているのである。
 
 このあたりはオレがありがたくもついったーで他人様のご意見をいろいろ勝手に見せてもらって気づいたことなのだが。 
 
 オレが思うに、子どもをつくって育てることが、いったいいつ最大価値最高価値になったのか、まったく分からない。分からないという方が健全だと思う。
 たしかに、子供をつくる育てる過程というのは、ものすごくいろいろなことを、気づかせてくれたり、わかったり、なやんだり、ともに成長したり、チャレンジングでハードで素晴らしいとは思う、思うが、それがいったいいつ、間違いないという太鼓判を押されたというのだろうか。
 
 というのはそれぞれ「相対」だと思うからだオレは。
 すべての価値が。
 このすべては相対だと言う考え方は、ある意味で価値の流動化を招いたり、混乱をみちびいたりするといって嫌われがちなのだが(オレはそういう嫌われがちな考え方を支持しているいつも)、それでも価値は相対であると考えたいと思うのである。
 だから子供つくる育てるは決して「まちがいなく価値あること」ではなく、「そうすることを選択して好んだ人にとっては価値あること」にとどめておいてほしいのである。
 
 だからオレはけっしてこの書いた文章のはじめの方で出させていただいた方の境遇を「哀れ」だなんて思わない。むしろこの逆境にくじけないで、うち勝つ方法を、転居を、ぜひ実現してほしいとこの長野県の辺境から応援したいと思っておる。余計なお世話であるが。