よる

さっきの「煮込み」は、あっという間に食ってしまった。おそろしい食欲だった。すごいなあ。
 
 よるであるが風呂上がりでありビールであり、NHKでは伝えてピカッチの正月特番やっていて山ちゃんもももちも小林星蘭ちゃんもかわいくがんばっているよ・
 
 気になったもの。
http://d.hatena.ne.jp/tyokorata/20091108/1257643350
 「普通って何だろう? 」
tyokorataの日記 様より。
 
つくづく、普通なんてものは無いのかもしれないなあ。しかし呪いだけはのこる。
 2日の朝に、出雲大社のやつをみてたんですん、NHKで。
 オオクニヌシノミコトがいまして、ヤマトという国があり、そして西にはイズモのクニがあってその他いろんなクニがあったんですね。
国譲り
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%91%A6%E5%8E%9F%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%B9%B3%E5%AE%9A 
まあオレはよくわかっていないのですが、
 とにかくヤマトが中央集権でいろんなクニを配下におさめた。しかしおさめられた方は呪いや怨みをもっていた、当然のことだ。そこでそれをおさめて鎮めることが必要だった。それが祭りであり祀りであり奉りである。
 
 つまり人間の戦いである。戦いというのは「いうことをきけ」というものだ。
 
 「いうことをきけ」は、戦いだけではなく、ムラ社会の中での上から下への統治においても同様。
 きまりというか習俗の強制力の、ありかた。
 こういうふうにしろ。 
 皆がそうしている。
 そうしない奴がいると集団としてのまとまりが保てない。「好きなようにしていいんだ」と皆が思ったら集団農業は終わりである。
 
 まあその結果がいまの日本社会なんですけど。
 
 しかしまあ話を戻して、「普通」と「結婚」の話です。
 「結婚することが普通である」そうでしたね。
 結婚の制度をもたない社会は古今東西存在しない。そうしない社会は滅びていただろうし。
(中国の奥のほうにはいまだに女系の社会で夫はすべて通い婚で結婚後も通いつづけるとこがあるそうです、新聞で読んだ。)
 
 しかし結婚についての強制力は、衰えた。
 冠婚葬祭もそうである。
 
 どのように生きてもいいということは「規範がない」ということだ、型(カタ)を知らずしてなにか理想があるわけない。
 
 人間が仲良くすることがなかなかできないから結婚という制度があるのだと橋本治は書いた(オレの理解では)。
 
 無規範というのはつまりアナーキーでありアノミーである。
アノミー
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8E%E3%83%9F%E3%83%BC
 
 アノミーと自殺には関連がある。
 自殺というのは「自然死や、祝福された死がありえなくなった状態において」の解決法であるし。
 
 いろいろ書いて関連していないようにも見えるがここ数日(年またぎで)オレが考えていることの連関である。
 単語だけ羅列すると、
自殺
親の権力
働き方
死に方
医療福祉のありかた、コスト、正義との関係
結婚と子孫繁栄
正月習俗
呪いと祝い、寿ぎ、祓い
 他人とどのように摩擦を減らしてなんとかやっていくのか
ということである。ぜんぶそれぞれが関連しているとオレはおもっている。