あさ

 アマゾンで吾妻まんがの菊地セレクションとか雑誌とかボールペンの替え芯とか注文した。gw中のいつ届くかしらね。楽しみにまっているわ。
 
火曜の朝です。今日よのなかは祝日なんですって?それしらないなあオレ。仕事しくし。ふつうだし。「六大陸まちかど紀行」みてるし。みんなにこにこしてんなあタイの人。それでもタイにはタイの苦しみあるのだろ。だわなあ。
 しかしそこには「普通」があるんだと思う。片肱はらない普通。普通とはなにかを考えもしない普通。意識しない普通。あたりまえ。そこに反発をかんじるかんじないは別。礼拝のときにテレビみてたいなあとか子供が思わないような普通の礼拝。だってみんな礼拝しているしそれはあたりまえのきまりなのさ。きまりでさえない。ルーティン。みたいな。
  
 と知っていても(苦しみもあるのだと知っていても)苦しみではなくにこにこの方に焦点をあてるのが知恵ってもんなんだろなあ。
 
 赤毛のアンでもみるか。あのいけすかないやつがどんな顔で描かれているか。
赤毛のアンはアニメとして演出法の教科書なのではないか。会話劇でもあるし行動アクションでもあるし表情でもある。ちょっとしたマリラの表情。そうなんだよ。マリラの顔というのはこれまたほんとシンプルな線で描かれている、しかし表情と感情がある。感情をよみとる機能が視聴者にはついている。そしてシーンとカットと音楽と。映像化されるアンの妄想。
・この時代の人たちはけっこうな無神経なようにも見える、こっち(21世紀)から見ると。いやオレがいまたまたまそういう困難をかかえているからか。まあ誰に何をいわれてもなんとも思わないという策もあるのだからして。
・ナレーション。ナレにかぶさる音楽。せつないのう。
・この時代。農村。人手不足。生き延びるのは男児の男の労働力が必要だった。つまり経済的要請。わかる。オレだって経済的要請で仕事しているのだ。