あさ

うんざり感が永遠や半永遠に続くのであれば、そんなことは止めちまったほうがええんでねえの?
 
 というのがオレの前半生・中半生の基本的精神であった。(注・いま現在は「後半生」であり、もう残りすくない。僅か。和好。
 
 今は?今は基本は同じなんだが、ちょっとバージョン変化していて、
・他のところもたいして変わらないうんざりです
・いやらしくも現世利益のためにお金は必要です
・もうちょっと様子を見てみてもいいかも
・まあオレにとっても利益もあるし(うんざり感と平行して)
 
などと考えている。あくまでオレの利益優先です。利他的ではない。貢献感とかあるのかい>>?さあね。
 
 嫌われることや、排除されることはリスクとしてあるがそれはどこまでいってもうんざり感の根本としてあるのでしょうがない。消費税のようなもんだ。オレがそれを零にしようと努力したところで無理無駄だ。
 
 オレがあたまの中での自動思考みたいなものをしているのを批判されるのはしょうがない。しょうがないがちょっと修正をかけるくらいはできるかもしれない。
 
 オレがクライアントの自由を重んじているのは事実だ、それはオレが自分の自由を重んじているのと同じことだ。ベースは同じだ。自由というのは最大限干渉されないということだ。とやかく言われない自由。生活を、そのクオリティを、アップしたい、ともしクライアントが望むのであればそれを最大限助けるしそうでなければ押し付けになってしまう。押し付け、もっとも忌避すべきことだと考える、
 行政なんかが押し付け的な生活管理をもってくることへの嫌悪である。
 
 なんとか体操会をあの人が休んだよ!あれあれ!おなじ会のあの人がきらいなんだって!じゃあ他の開催会をご案内しましょうよ!
 
 うるせえなあ。ほっとけ。