よる

現実は冷徹。事実のみを伝える。あまく見ていた幻想からふりほどかれショックをうける。
 
一日は長く、車でぶーん。
 
昼は昼寝。車中で。よく眠った。JOQRをかけていた。くにまるさんが話していたが寝てるのでよくしらない。1300になるとたまむすびTBSに変えるが、金曜はどうもなじまない。小林アナと玉さんであるが、どうもな。玉さんがオレになじまないのだ。
 
なんというかな。わからんものはわからん。
 
わからんし別にかまわない。 
 
2014 は暮れていこうとしている。振り返るのも大事だし未来を考えるのも大事だろう。そんなに人間変わらないが、住む場所と毎日顔をつきあわせる人間が変われば相当に変わるだろう、内容が。
 
今日は。 
 ミクロの視点で言えば今日は一日中体調が安定しなかったが仕事に集中していると少し体調が上がってくる。
 
 食事、あまりしなかった。朝は昨日の残りのスパゲッティ、昼はランチパック(ハンバーグ)一個とポテチ少々。腹、減るが、朝からあまりいろいろ入れられない感じだった。
 
 車できいたラジオはいたずら黒うさぎ。いつもいつも有り難いお言葉である。
 
 いつも思うのだが車でぶーんって行って客先で雑談しているときが一番いいのかもしれない。職場に戻ると「シェルターに戻ってきた安心感」もあるのだが一方でこの世は暗黒だと感じることもある。 
 意識のベクトルのすれ違い。
 
 人間はそれぞれに勝手だ。 
 
 仕事はあと2日。29でおわり。
 
 仕事をしていて、特に「あたった」人、つまり「Brain attack」のサバイバーの人が、いやそれだけではなくCOPDだったりなんだったり、
 疾病によって以前とは違う能力レベルである人たちが、
 以前とは違うという一点について「おちぶれたもんだ」「もう今までやっていたあの作業はできないし」みたいな、リターンできないことについての、取り返せないことについての自虐的発言をよくきく。耳にする。
 
 別に普通の人とされている人がしていることが金科玉条であるわけではなく、自分なりにできることをしていたらいいんじゃないのかねえ、それよりも「明日したいことがある」ことのほうがよっぽど大切だ、未来志向なくなったら生きていけない、
 
 と思っているのだが、それでもクライアントのみなさん、善男善女のご老人がた(60〜90と幅広いかたがた)は嘆きとも恨み節ともいえる怨嗟、いやそれほどじゃないな、もうあのころには戻れないの言葉を口にするのである。
 まあ、戻れないよね。
 それでも確認したい気持ちがあって誰か他人にそれを言いたいのであれば、オレがそれを聞くのはいいんじゃないのか。誰もきいてくれないのは、かなしい。誰かがそれ聞いてくれるならゼロじゃないんじゃないのか。わかんないけど。
 
 夜食を作って食います。