よる

2014に初めて出会った人もの概念リスト
・エネルギッシュで経験豊かな上司
・同僚でなんやしらん物怖じしないおそるべき学術系
・同僚でなんやしらん物怖じしないおそるべき地域系
・同僚なんだけど超ベテランすぎるマスター
・同僚なんだけど地元的訛的安心感的料理的 
 
なんでしょうか。職場を変えると新しい人と出会う。たまたま。へえ世の中にはこんな人もいるんだ。
出会ってそれでそこで話ができるのは同僚という資格があってこそであって他の職場で他の仕事であればそこで話できる環境ではない。あたりまえだけど。
 
・地域をつくろうってか地域づくりというなんかそれ自体をどう定義
・ボランティア(災害からの仮設住宅での老人が単身だったり老夫婦だったり)
・べつになにがどうではないが単身世帯はどうみても老年者がひとりで成り立たせるのは有問題
・難病、神経難病、進行性神経難病、呼吸器系重症患者、在宅療養中、なにがQOLなのかしらね
・strokeからのサバイバーであるが生活が縮小しており過去を振り返るばかり
 
cerebral infarction (米)
stroke (英)。
脳梗塞。stroke は日本の「脳卒中」かもらしいが、
脳梗塞 (Ischemic Stroke) と脳出血 (Hemorrhagic Stroke)。
なんにせよ。職場を変えて職域を変えるとで会うクライアントが全然変わってくるわけであり、わからんが、なんでしょうね、前のところと今とを何が区切っているのかしらんが違うわけで、
・認知的にはっきりしている人、軽症と言われるかもしれないが要介護1くらいのはっきりしている人でそれでも訪問サービスを必要としている、必要としてるの?何を必要としてるの>?それはサービス提供によって変化をもたらすことが可能なの?どうなの?
的なことがあり、
なんでしょうね本当に。なんでしょうねには「オレにはよくわかんないよ」が含まれているのだがいいんだよわかんないというか全部は分からない部分的には分かるということがあるのは事実だからいいんですけど
その地域にいる人がいて、いるんだけど、どういうことを必要としているかは人によってまったくそれぞれであり。
サービスといってもいまの介護保険システムの中にすべてあるわけではない。
サバイバーの人で、軽症であって、外出が可能である人(自分であるいたり人の運転する車にのったり)であれば、「地域の寄り合い的なNPO的なとこのやってる集まり会に出席してみる」こともあるし。
けして家にとじこもっているわけではないケースもある。
一方で閉じこもっている人も大勢。
物理的に不可能ではないが閉じこもっている。家から出る方法や理由や設定がはじまりがわからない。そういうところの人になにかをアプローチ、なにかを。なにかをしているうちにその人が変わってきて自分からなにかをしようとしはじめるところを支援するのがこのアレなのだろう。しかし一体それをどうやってやっているのか。言葉にできるのか。たぶんできているんだろうできている人たちは。
家から出るというのは家から出ないとの比較ではすごく違いの大きいところであって。で。
そういう人が他の人と会ったり他の人との間でなんかするつながりができることがアレですか地域づくりなんでしょうかね。地域づくりってなんですか。はじめて聞いたけど。
 
 つながりができるって言いますが、さっき書いた「たまたま同僚になれば話すけどそうでなければ話さない」のことで、同僚ではなくてたまたま同じ地域に住むなんか職域として同じであるだけっていう、それだけでも「交流会」とか「忘年会」とかでそういうはじめて顔合わせる人と飲んだりすることもあって。
一体そこからつながりとか成果とかが出せるのかどうかは
面倒くさがることなくマメに「交流」つづけていけばこそであり、しなければただの飲み会である。
 
一方で。
クライアントの方々と。認知的にはっきりしているからこそ「過去と比較して現状を嘆く」ことができるのである。はっきりしてなきゃそれもできない。
 嘆く人は「本当はそれをどうにかしたい」と思っているのだが、どのようにどうにかしたいのか、自分ひとりではわからんちん。
 まあそうだろう人間はひとりではどうにもならん。そこをどうにか。どうにかどうすんの。・