ひるごご

 
ラジオの録音したもの。
あらためて東京ポッド渋谷公会堂。秋沢さんの歌声をきけたというのはとても貴重なことだったのだなあ。。
 
いきてりゃそれだけでいいか。たのしいこともあるし。ときには。 
 
関係貧困はごろりとそこに転がっているが、それはそれだ。
 
関係貧困→
『「居場所」のない男、「時間」がない女 』
を買って読んでいる。
『非婚ですが、それが何か! ? 結婚リスク時代を生きる』
と併読している。
品川プリンスのとこの商店街のくまさわ書店で買った。
おもしろい。悲劇的ではあるが、社会学者という人の目は「社会というマスの動き」を見ているのであって個人の個々の顔や汗や胃の重くなる感じを描き出すこととは別のところにあるんだなあみたいな感想。関係貧困はおそろしい日本人サラリーマンの「できない」ことの真実であるが、
そうなんだなあ向いてないとかそれは言い訳であって、
「できる」がいれば「できない(達成できていない)」があるわけだ。そこには。
 
べつにそれで、「関係貧困と健康寿命には相関がある」
といわれたところでそれはそれ、関係貧困にはいっぽうで「とやかくいわれることを嫌うので個人でマイペースで過ごせてうれしかった」という声だってある。
しかしどうしてそれで集合としてみたときの「独身男性→やむをえずけっこんしていない(できなかった)」「独身女性→選んであえてけっこんしていない(したくないから)」という図式観測が成り立っているのだろうか。なぜなのかを考えるというのは「男性におけるその傾向の理由」を考えることだ。オレがそのサンプルなんだけど。
 
とかつらつら考えつつ洗濯があがるのを待っている、あがれば乾燥にいく。
 
休日とか移動時間をつかって読書したりその他雑用を片付けたりするしかないのであった、当たり前だけど。部屋の模様替えみたいな強引なことも。