よる

仕事は仕事だがそれはそれである。
火曜に、ちょっとだけ奇跡があったような気がするのだがそれはあくまで微かにということ、
 
なんでもどんどん過ぎる、
 
今日も早めに職場を脱出して家で試験勉強、あいまに大根を煮る、
2200になったので区切ってシャワる。
 
そしていまになる。こころ旅をみながらネットをうろうろしてクールダウン。
 
なんだろうわからない。わからない。自分がオレが、社会における部分への「効果」「対費用効果」「疾病」「精神的な低調」への貢献をしているのかしていないのかわからない。害悪のみを為しているのであれば石もて追われるであろう。ゼロはほとんどありえない。+をもたらしているのであれば、受益者がいるということだ。たぶん。
 
わからない。社会における「生老病死」の老と病をおもに拝見している。死はオレの職の範疇ではない。死を診断するのは医師だけである。法律上。
 老は毎日みているし病だって毎日みている。
 
 なんだろうわからない、毎日わからない。
 
 オレの同業のみなさんは、学んだこと経験したことのうちの評価にまつわる部分のスキルを使用することにより専門性を発揮してその人の状態について評価することができて何が変化可能で何が変化不可能であるかを識別することができてまたその人に対して変化を自ら興そうとする意欲へのサポートができるのだそうだ。
 
専門性。
 
 専門性を発揮するとはどういうことなのか。ボディメカニクスを熟知しているということなのか。多くの人が素人考えで間違った人体の動きをサポートしているので世の中はよくならないというのか。
 
 専門性の旗を立てて旗幟鮮明なる活動家の皆さんについて異議申し立てを行ったとてオレひとりはにぎりひねりつぶされるだけである。
 
 だがしかしその専門家なる方々の職能集団はなんというか脆弱な財団法人であるし関連職種団体の政治力には負けまくりである。
 
 医療は「人は死ぬし、また生きているとしてもその病は不治でありまったく治らないどころか悪くなるいっぽうであることが決まっていてなにも打つ手はない」ことが過半数であるということを見ている。なにしろ真剣であるか努力しているか情報を集めているかにかかわらず全ての場合において人間は疾病には最終的に負けるのである。
 
 まさにわからない。死にたくないという人の気持ちがあることはわかるが、費用対効果をもってその「死にたくなさをもって死なないでまだ生きていた期間をのばしたよ」の効果、その時間を持って何をしたか、何をするかはその人の勝手だと思う。まったくわからない。健康とはなにか。健康なんてものがあるのか。若いやつはみんな健康だ。幅があるけど健康だ。まったく健康でありやがって。FUCK。