あちこちオードリー(FSU)

深夜なので集中してみれる

 

ファーストサマーウイカ宮下草薙がゲスト

 

この番組は

どうもなんか

「スタッフから言われるけどそれは

いやだ

違和感

ちがう

なんだろうこの抵抗感」

みたいな感じの

TVなどのことの裏のスタッフサイド

との間のやりとり

 

みたいなことが

 

どうもたくさんあるんじゃないか

 

東野がやってきて

おもしろかった回は

芸能界での生き残り方だったがあれだって

東野がスタッフのほう向いてやってる感の話だったし

まあおなじ現場でやってるんだからそれでいいんだけど

 

しかしイメージなるものを

カンペに書いてくる(「草薙さんはイヤイヤでお願いします」)

のは

あきらかになにか「おしつけ」なのだが

スタッフ側からそういう話はでてこないから

いやだったという草薙の方の話だけになるのである

 

スタッフ側からでてくるとしたら

発言の場をもっている佐久間Pだけなんだけど

 

ともあれFSUだってゴッドタンきっかけなわけで

佐久間Pのアレなのである

 

スタッフ

 

佐久間Pのラジオに

「カンペ」というそのもののコーナーがあるのが

推して知るべし

であるが

 

山里若林の「たりないふたり

だって

そもそもは

「打ち上げをなんとかしてごまかしてさぼりたい」で

それは

同業の表に立つ芸能人とのあいだというよりは

スタッフをまじえた会(うちあげ)の

それを

避けて生きていきたいみたいなテーマだし

そのうち「たりふた」

どんどん進んでいき

だんだんと

2020春では

「こういう楽屋挨拶はいやだ」みたいになっていき

「こういうDがいて」

「こういうPがいて」

 なんか”向こう側”なのである

TVとかの世界の

たとえばテレビ局ラジオ局は

出入りの業者もたくさんいるが

ネット局の正社員であるやつらはものすごい高給料であって

あれはほんとうになんかおかしいくらいのハイサラリー

佐久間Pだって庶民にみせているが実際はそういう人なのである

隠しているというより

ガハハおじさんのイメージ戦略である 

 

でもだんだんそのようなTVの世界は崩壊しつつあるのだけれど

 

なぜなら地上波をだんだん若いのが見捨てていくから

 

スタッフなるものの思惑とは全然ちがうし

オレはオレのみせたいものをみせたいだけなんだ

といって

一流芸能人が

ゆーちゅーばーになっていくのであって

それはべつに流行りだからではなく

やりたいことを検閲なくできるのがそこだった

というだけで

東野がネットラジオやるのだってそれが理由だろう

 

おりしも

朝日新聞(20200710朝刊)に

note

のことがのっていた

広告なし検閲なし

投げ銭あり課金あり

 

プロの小説家だってnoteで書く時代

ファンが定期課金してくれる

 

スタッフとか編集者とかを抜きにした世界

もちろん管理は自分自身でするんだけど

 

そういうことを考えさせられた

TVバラエティなのにそういうことを

考えさせられるとは

なんだろう

 

オレの好きな山里氏はなんか

どうも

昔からあるTVのスタッフの世界を

好きで嫌いで大好きで大嫌いみたいなアンビバレンツなものを

感じるのだが

でもTHE芸能界みたいなのも

いいのかなその匂いとか感じとか雰囲気とか

しらんわオレのそれは属性ではない

想像の世界

 

妻がヲタだというのは本当におおきいことだ

女優で同時にヲタでもあるという

なにしろ

手越くんでさえもが辻希美ヲタだったことを堂々と言うくらいの

21世紀

2020年代

ジャニーズ事務所という枷からはなれた

オレのやりたい芸能活動がしたいという正直な気持ち

とかいって

そういうの

自由

なんだろう

ワールド

世界にひらかれた場

 

でも場があってこそだろうしなあ