あさ

あさである

 

土よ遊の

土曜のあさだ

 

・偉いほうの人からFBのメッセンジャーになんかきたとて

返信とかしたくないしなあ だって面倒だもの

まあでもいちおう恩とかあることはあるんだよね

・人のブログ

出ていったりもどってきたり・・・好きにすればいいのよ

 

日本の政治フィクションの中でもちゃんとしたのが書けなくなって

きている問題

そう

なろう小説でもなんでも

てきとうに都合のいい設定をつくったとて

その中にある いる 人間の行動や思想や考え

何ちゅうか文化資本とまったく無縁というわけにはいかず

結局は作者や制作陣のそれらバックグラウンドを反映したものに

なってしまうのである(「正義」を体現する行動とはどういうものか

ということは そのエリアの文化に規定されるだろう

知らない人に対する態度とかね)

 

だからなろう小説といっても

設定だけ中世ギルド社会でも

中身は21世紀の日本人

だったりするんじゃないの

 

どうなのかねえ

 

オレはいまでも愛と幻想のファシズムが好きだし

あそこで躊躇なく人間を殺したり

社会を残酷な方向につくりかえていく意思というものは

なかなか20世紀の日本人からうまれにくいものだったんじゃないか

と今でも思っている

まあ諸外国の西洋のやつらが中途半端にバーチャルであるという

ことはあるけども

 

あと他人のブログでみるのは

「ときめくことはすぐやるのに

ときめかないことが面倒でできない

例は

風呂

髭剃り

ETC

それはよくわかるし

面倒だ

の気持ちから無限に死へといざなわれるような鬱におちいるのも

感じとしてよくわかる

 

なにかの強制が

必要なんだ

社会

社会の片隅

でいきるためにはね