読書感想「違国日記」 8巻」について

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さて

 

8巻よみおわった

 

もうだいたいファンの人は読んでいるだろうし内容について

触れてもいいだろうだってコミックスだもの

映画じゃないしね

 

というかますます「映画的」な画角の切り取りだった

 

シンエヴァが画角にこだわりこだわりすぎたくらいの映画だったが

 

この漫画もまた

誰が主人公なのかをちょっとだけはっきりさせないという意味で

三人称的であり

「わたし」は朝ちゃんであるが

自覚ある主体として語る者は

えみりでもあるし

また

誰でもいいのである

 

誰もが自覚する感情を語ることができるしそれは

たとえ目の前に人がいても

独り言的になってしまってもいいのである

 

それは

朝が「さがしている」自分の違和感をどのように処理解決すればいいのか

をさがしているのだが

それが疑問であって

謎である

 

それが中心になって8巻はすすむが

 

えみりの実存の告白もある

 

えみりは

朝ではなくその叔母の槙生ちゃんに先に告白をするのだが

 

なぜ友ではなくその叔母なのか

 

おそらくはえみりには「叔母的な斜めの関係性」をもつ人が

他にいなかったのだ

 

そして槙生ちゃんは「理知的にものごとを見ることのできる人」だと

えみりは理解している

それはえみりにとっては

たぶん感情とか世間の多数派意見とかと対義であって

理知的という言葉をオレがここにあてたのは

槙生ちゃんは「人間一般についてこのように考えてみることが

おそらくはまっとうである」

くらいの態度で接してくれるだろうという確信があるくらいの意味だ

 

まっとうという言葉をここにあててみたが

真っ当ともいう

 

本人が自分の信条にもとづいて行動思考することをかならず守る

という意味でつかいたい

 

そうすると「格率(マクシム)」というのになるのではないか

 

なんかそれだと村上春樹に教わったというのが前に出てきて

いくない

 

ともあれ

 

そのあとでえみりが朝に告げたときには

朝は

おそらくは瞬時に反応し

そしてえみりは反応されたことばに

無自覚にある世の人の多くもつ既定の感情もみてしまう

 

そうなるとわかっていたから先に槙生ちゃんに言ったのだと思う

 

でも朝もいい子でちゃんとした方向にいこうとしているから別に

何かをこじらせるわけではない

 

朝にとってもっとも気になっているのは

いまは

死んだ父が「誰だったのか」である

 

それを探す

探す中でインタビューをする

多くのいろんな人に

きいてまわる

 

どんな人?

 

笠町くんだけが

ひどく感情をこじらせて

笠町くんとその父との間の葛藤

(否定したいけど愛されたいとも思う)

最終的に笠町くんは朝に語る

だれかがそれをきいてくれないと

ほんとうの独言になってしまうけど

人間が前にいればいいんだと思う

 

朝はなにもとくに反応しない

 

エコー

というキーワードがあって

朝の同級生(学年一成績のいい女子)

コウモリのエコーロケーションについて話す

跳ね返りで

自ら(の位置)を知る

 

槙生ちゃんがそれに論評をくわえる

 

はねかえる

 

学校の誰もいない廊下

 

美しいと思う

オレは美しいと思うんだそういう比喩の表現が

実際に場面として漫画に出てきてそれについて

語る人間がいることが

 

そういうわけで8巻は人間がそれぞれ別の人間とも

かかわっていることに

関わりがなければなにもうまれないが

あれば

あらゆるものが飛び出したり

感情が相反したり

好きになったり

好き合った関係性もったり

それが嬉しかったり

理解してほしかったり

添削してほしかったり

 

どう思われているのか気になったり

 

あらゆることはそこにいる生きているキャラクターの行動が

それを起こす

 

あの弁護士が出てこなかったな

もっと出てくるかもと思っていたのに

 

ジュノさんの小説は夜みたい読みたいなあ