仮説

俺ガイル2期9話までおわり

 

まあねー

由比ヶ浜さんがラブなのはわかってるし

最終的に3期のさいごのほうで

決着がいちおうつくんだから

いいんだけどせつないね

いろはすの葉山くんへのラブもせつないけど

それはべつにいいんだ

 

田舎のことを考えていた

 

1990年代くらいからこっちずっとそうだと思うんだけど

日本の

東京とそのごく近いまわりの周辺地域

以外の

すべての日本は田舎であり

つまりそこには未来も希望もなにもない

ことになっている

 

だから俺ガイルの高校生が

かろうじてなにか明るくできているのは

その例外としての東京とその近郊

に属するという幸福が担保している明るさ

なんじゃないのかなと仮説をたてる

 

まあ無理仮説ですけどね

ラブライブとか沼津だし

茨城の大洗も

まあ地方はいろいろあるさ

あるけど

基本

「街の上で」が下北沢で

あのへんは

まだ

小田急が地下にもぐったあとの再開発も

まだやる余裕があるのよ

 

静岡県とか悲惨ですからね

もう「街」らしい街なんて

県内でも

静岡市の駅前ごくわずかのエリアだけしかのこされていない

デパート文化みたいなのはほぼ死んでいるし

商店街という概念も

静岡市だけだろ

浜松も清水も沼津も三島も熱海も

あれはもう「商店街」ではない

かろうじて熱海は観光客相手のそれで

浜松なんかもうタワマンに鞍替えで店なんか死んでるし

清水だって実質シャッターだし

もう車移動人口が9割より上の世界である静岡県

駅前などという駐車場の不足環境では何もできないのだ

浜松駅周辺の地獄駐車場不足と渋滞とかね

 

店なんかぶらぶら歩ける環境あってのものだからね

 

そういうわけで田舎は死んだのだ

高校生は自転車でしか活動できない

 

東京のその近郊には電車がある

電車と駅

それはマス人口の移動と通過と

それに依存した店たちの存立をささえる

店そして商店街

歩く人

通勤通学

 

子供をがっこうに車でおくっていくようなこんな田舎はもう終わってるのさ

 

アメリカンのやつらはサバービアでどのように何を毎日やっているんだろう

 

フィラデルフィアケンジントンアベニューはどうなっているだろうか