ひる

いつも同じことを

思っているが昼飯超うまかった

米は昼はパックのレンチンごはんこしひかり

十分うまい

オレがメスティンで炊いたときのあらあらしい水のかんじはないけれど

うまいよ

おかずはカブの身と葉と鶏皮と豚小間

しぬほどうまいね

もう

たまらん

オレはいつも飢餓状態

何をくっても毎回うまい

信じられないくらい

 

あらためて違国物語

8巻(いまはここまで)まで読んで

ちゃんと「答合わせ」がある

つまりそれまでに朝が学習したことは

ちゃんと生きているし

いきてるね

えみりも

朝に言ってよかったとまで思うかどうかはわからないが

それなりによかったと思ってくれるのではないか

 

いま思ったが

実際の人間であるかのように評するのと

キャラクターとして理解して書いて描いてあることを抽出することは

別のことだろうか

(別でしょ)

別であるとすればそれは別であるように書かれないといけない

(とつぜんいまそうおもった)

オレがキャラクターに対して抱く気持ちはもちろんあるが

それは評ではなくて

オレがキャラクターの行動や言動から

抽出したやつ

その

やつについて書くのがオレのそれじゃないのか

そっすね

 

だから例としてはどういうことかといえば

さっき書いたやつは

 

「朝はそれまでの時間で槙生との

言葉のやりとりを通じて

自分の言葉で相手を傷つけることがあること

何に傷つくかを決める主体はその本人であって

言葉を発した側ではなくて受け止めた側がその受け止め方を決定する

ことを

学んだ

その学んだ結果として類似した会話があったときに

同じ轍を踏むのではなく

これは過去に経験したケースと同様のケースだと

気づくことができて

自らを省みることができた

そのことを相手に(えみりに)告げることで

えみりが傷ついた事実は消えないし変わらないが

しかし少なくとも

はえみりを傷つけたということを自覚し

自覚してくれていることはえみりにとっても

なにかこう・・・」

途中からおかしくなったがつまり

よかったね

じゃなくて起きている心理のやりとりを記述しないといけない

それが抽出ではないかと思うのだ

練習