とりあえず読んだのがトミヤマ先生の「現代の少女マンガとフェミニズム」
ざっとまとめ
・都会の女Aさんのエピソード
ー理想の男 について少女マンガから学んできたが不倫しかなかった
ーそろそろ「少女マンガの世界を去るときがきた」
いわゆる耳触りのいいことを言うようなことを少女マンガから受け取って内在化させてきたことから少女マンガが案外強い少女たちへの影響力をもつのではないか
・作品
「さよならミニスカート」
「1122」
「アラサーちゃん」
アラサーちゃんがそうやってフェミに目覚めた形とシスターフッドで完結したとは知らなかった
1122は金を出して買って最後までよみました実に怖い話でありますがどこにも歪みを最終的にただすものはないというか傷は一生残るみたいにオレは感じたがそもそもが夫婦は何によって夫婦たりえているのかを言語化もできていないのが日本の夫婦の現実だみたいなことばは きっとそうなんだろうな・・・と思いました(想像)
さよならミニスカートはラジオでの漫画の紹介では聞いたことあったが読んだことはなく是非よみたいなと思うのであった
なんにせよマンガというメディアは世間が思っているよりももっとずっと強く人間に作用するしこれだけ雑誌が売れないとか本が売れないとかいってもそれでも電子化一辺倒にならないで本屋というものが街にいきのこっているのは
みんな本や雑誌や漫画は読むものだというのがまだ日本にはかろうじてあるんだと思うのね
だからそこで描かれる内容こそが重要だというトミヤマ先生の言葉は納得です
次に
これはインタビュアーの(エキサイティングな動悸)が聞こえてくるような
かんじでしたわ
アカデミズムの人
で
クィア批評
だそうです
しかしこうやってインタビューで作者がそれについて語っていると
どうにかしてそこではないところの何かをどうやって今さら
見つけられるんだ・・・・とか思うわけですが
それはそれこれはこれ
これは作者がその時点でいろいろなところで語ったインタビュー
の中のひとつの長いめのもので
怒りや家族(の無謬性には抗議する)やフェミニズムのこと
や抑圧や社会にはびこるどうしようもない悪意のまざった視線のこと
について語るインタビューなんだが
結局
作品の中では「表現したいこと」があるにきまっていて
作者が「理想的な世界を描いている」というのはわかる
それはオレもそう思ったしそう見えるしそれはいいなあと
思っているから読んでいるわけだ
マンガはもちろん作品として「現実そのまま」を描く必要はぜんぜんないし
作者の描きたいことを実現するための装置をつくって描くわけじゃないですか
そこにどんどんぶちこむものもあるし
「そんなの本当かわかんないじゃん!」については作者が
そう語ってるなあ解釈を
解釈まで語らないでほしいんだが
ともあれフェミニズムだろうとそれ以外だろうとなんだろうと
オレにとっては思想はどうでもよくて漫画作品としてのそれが
で
どういう価値を(~を表現する)
提示しているかが大事なんだけど
すくなくとも
オレが提示したいと思っている部分はフェミニズムという名前がつかないことは
わかった
関係性に名前がない付けないということもこれだけ多方面で作者が自分で
言うておるとオレが言うことじゃないような気がする
とすればオレが提示したいんは
学習
ということになるんだと思うんだ・・・・たぶん
たぶんだけどね
さいごにのこっているのはそれかなあ
(他のメディアで既に言及されていなさそうなところという意味)