あさ3

金曜午前のラジオ

個人的事情により

BAY FMで

安東アナ(フリー)元TBS

の声をきいているとああ金曜日だなあと思うのである

ああとも思うのである

そしてあのマンションの1Fの部屋を思い出すのである

のである

 

個人的記憶は財産なのだがただ思い出すだけでとくに

マネタイズでもないところが潔いんです

 

宮脇咲良さんって元HKTか

もうなんでもありだな

 

なんでもありといったのはこの世間の年代の断絶とゾンビについて

 

なんですけど

 

つまりね

変なことがおきていて

芸能の人気者というのは旬があって

一時期人気があってそのあと廃れる

に決まっておったのだが

 

ある時期からそれ以降にそのやつらが廃れなくなり

いつまでもそこにいるようになり

 

つまりたとえば

ひょうきん族あたりからの芸人のやつら

ハローの大当たり以降のアイドルのやつら

 

がいっこうに退場しない(退場しないですむやりかたを

開発した)

 

がしかしマトリックスにできるものはできて

・看板だけおなじで中身は新陳代謝している

(看板ブランド)

・個人がいつまでもそこにいる

 

男性でいえばアイドルがジャニーズの看板で

芸人が吉本の一群(さんまからこっちの)とたけしと所さんとタモリ

女性でいえばアイドルがハローとAKB以降坂道の一群

芸人で女性が定着しないがそれでも吉本であれば長いのはいるもののなかなかそれが一線かというと別にそんな気もしない

 

こんな感じか

 

要はいつまでもそこにいる奴がいたら飽和するに決まってるので

看板方式で中身をいれかえるようなことを考えてたのに

テレビにおける男性芸人奴等だけが中身の入れ替えをしていないので

どんどん老いているのに

「いつもの顔がいるから安心」とかいって

25年30年くらい新陳代謝できていないので

さすがにTVから客が離れていったというのが状況で

それで吉本は政府にすり寄っていったと

 

一方でインデペンデントであるほうがマスのマーケットがつかめなくても

商業を成り立たせられるとわかって努力しているのが

もともとからインデペンデントである宝塚(看板)を筆頭に

小演劇界(延々とある)だったり

2.5次元ミュだったり

ぜんぶ「舞台」なので現場が命ですがそれだけに

固定ファンはそれ以外に方法がないのでそこに金を払う

 

いっぽうで音楽(インディーズバンド)やコミケ(同人誌)は

お金でCDや薄い本を売るという形をとったものの

モノ

の価値がどんどん下がっていくのでモノの対価というスタイルは

どんどんやっていけなくなった

 

TVに金が流れこむのはそれでもまだTVをみるマスがいるので

企業がCMをうつからという広告代理店まるもうけがあるわけだが

 

金があつまるところほど恐ろしいものは無い

金で人を殺したり人とは思わない扱いをしたりするのが

普通だから

 

そう考えると映画というものはよくも生き延びているね

やっぱりあれですよ配信が急成長したのは

「配信で映画をみることで映画を見る体験を知っている層がふえた」

「家のTVで映画をみるのと映画館で映画をみるのは違うという映画館ならではの魅力を差別化できた」あたりの影響をつくることができたあたりでしょうか

あたりって2回いってる

なんでも「それ知らない」よりは「知ってる」ほうがいいよね

 

書籍はどうなんでしょうね

それまでの「本を読む」層が一定の数はいて

しかし若いもんはついに「一年で一冊もよまない」「家に本棚なんて場所をとってコスパがわるい」とか言いだす始末

それじゃあ独学もすすむわけないよ

はあマイナージャンルはつらいね

本屋がつぶれるわけです

 

でも映画館と同じで

つぶれたあとに下で底つきしてそっからは

低空飛行もまま少なくとも減少は止まったようにはならないの?