そのあと調子はいいので
あるいて図書館にいって
シオランの日本語訳の本があるのにびっくりする
こんな定価の高い本もうちの市の図書館に買う予算があって
よかったよかった
買ってくれてないみたいだけどね
と思ったら発売は来月’(3月)じゃん
失礼いたしましたまだ出てない
図書館で
LeGuin読んだり
批評の付録に書くならなにかきたいかを考えたり
メモつくったりしていたが定まらない
しかしそれでも図書館で
作業をするのはいいものだ
脳がうごいているから
なんでもいいんだよきっと脳さえ動いていればね
どうしてもなんかこうなんだろうねえ
わかんないことがたくさんあるねえ
そのために読んでいるのだが
LeGuinのエッセイを読んでいるとほとんどこれは批評なんだろう
と思うこともあり
猫についてだったり
よい著作よい文章
ストーリーとプロットの違いもでてきた
オレが廣野先生の教科書(中公新書)で読んだあの
有名なフレーズ
出来事の連結に理由がある場合とない場合
つまり因果のあるなし
あればそれはプロットだというのだが
それにLeGuinは反対だというのである
ちょっと一回読んだだけでは文意がわかりにくい文章だったけどね
あとは
彼女もまたひとりの白人の少女だったという話を
かいている
白人ではない人(黒人や移民や)が世間に
増えていく過程
というかその地域でのことだ
西海岸での
そう
かわる社会
かつてはその地ではかれらは人間ではなかった
いまは人間だ
いつしかはじめからみな人間だと
おそわる以前にそう思えるようになっているのだろうか人類は