土曜午後の行動

そのあと調子はいいので

あるいて図書館にいって

シオランの日本語訳の本があるのにびっくりする

こんな定価の高い本もうちの市の図書館に買う予算があって

よかったよかった

千葉雅也「現代思想入門」(講談社現代新書)は

買ってくれてないみたいだけどね

と思ったら発売は来月’(3月)じゃん

失礼いたしましたまだ出てない

 

図書館で

LeGuin読んだり

批評の付録に書くならなにかきたいかを考えたり

メモつくったりしていたが定まらない

しかしそれでも図書館で

作業をするのはいいものだ

脳がうごいているから

なんでもいいんだよきっと脳さえ動いていればね

 

どうしてもなんかこうなんだろうねえ

 

わかんないことがたくさんあるねえ

そのために読んでいるのだが

 

LeGuinのエッセイを読んでいるとほとんどこれは批評なんだろう

と思うこともあり

猫についてだったり

よい著作よい文章

ストーリーとプロットの違いもでてきた

オレが廣野先生の教科書(中公新書)で読んだあの

有名なフレーズ

出来事の連結に理由がある場合とない場合

つまり因果のあるなし

あればそれはプロットだというのだが

それにLeGuinは反対だというのである

ちょっと一回読んだだけでは文意がわかりにくい文章だったけどね

あとは

彼女もまたひとりの白人の少女だったという話を

かいている

白人ではない人(黒人や移民や)が世間に

増えていく過程

というかその地域でのことだ

西海岸での

そう

かわる社会

かつてはその地ではかれらは人間ではなかった

いまは人間だ

 

いつしかはじめからみな人間だと

おそわる以前にそう思えるようになっているのだろうか人類は