展覧会 Chim↑Pom展:ハッピースプリング 森美術館

を見てきたのはその理由は

 

・エリィさんについては文學界

エッセイを書いているのを読んだことがある

出産後の垂れさがった乳房についての話があった

 

・この展覧会は和田彩花さんが音声ガイドをやっている

あやちょはツイッターフォローしている

 

そのくらいか

 

あとは「現代のコンセプチュアルアートってわかんないけどかっこいいじゃん」

という気持ちがあること

はあるし

あるんだからしょうがないだろ

あるんだもん

 

結論からいえばわからない

 

核の問題核兵器の問題災害の問題

東日本大震災の問題とそこで行うこと

 

がどういう意味をもつのかさっぱりわからないが

わからない理由はオレが文脈がわからないことがあって

それから

アートの方法で社会の問題に対して問題を提起することが

何を提起しているのか?

わからない

忘れるな

なのか

ここにもんだいがあるぞ!お前らみんな関係ない顔しやがって!

なのか

どうなのかわからない

そういうもののことなのかもしれないし

そうではないのかもしれない

アートのことが

アートそのものについてそれを「鑑賞する」こと以外に

「それを体験して不快な気分になる」もあるし

「それを体験してざわついた気分になる」もある

不快とざわついたは

ぜんぜん違うものだし

 

なぜ広島の上空に「ピカ」という字を飛行機雲で描くことが

いけないこととされるのか

については著書も出ているしそれを読めばそこに

主張が書いてあるのかもしれない

 

受け止める側がそのそれの価値とか

存在していいかわるいかを決める

 

わけではないと思う

 

もうできてしまったものはできてしまっているのではないか

 

Chim↑Pomのみなさんはそのアート行為のあとに

徹底して当事者(たとえば被爆者の団体)と話しあって

その結果として一種の共同

を達成するところがすごいと思う

そこまでがコミでアート行為なのかどうかはわからない

 

明日の神話」(壁画)につけくわえることも

岡本太郎美術館につうじてその後そこで展覧会もしている

 

台湾の美術館に「道」をつくってそこでしていいことしてはいけないこと

の交渉のすえに「みのがす」という第三の態度(許可・不許可・みのがす)を

引き出したのとかすごく面白いと思う

 

100の気合とかあのビデオはすごいと思う

そのとなりの海の映像にあるながされたものたちの姿

(それはすぐに撤去されてしまっただろう)

 

山となった千羽鶴

 

たぶん

あの「二階部分」のアスファルトの空間のがらーーんとしたところは

会期の間にいろいろ足されていくんだろうな

ウクライナへのプロテストもあったし

これからかわる

 

レスリー・キーの撮った「妊娠して腹部が完全に臨月っぽいヌードのエリィ」

の写真はとてもきれいだった

 

カンボジアでアートイベント動画をつくりその展示収益を

チャリティとして現地に還元しようとしたら一部のところに

私的流用する輩のところに金がいってしまって中止するなど

チャリティは難しいという現実にも直面している

 

まあオレもわからないなりにそういうことを

思う(考えるのちょっと以前)ことがあるという

意味で行ってみてみてよかったと思うのである

 

なにごとも「無駄だった」ということはない

 

そのあと港区をあるいて

麻布十番の外人の多い賑わいとか

狸穴公園とか

 

東京は「親子が歩く」ことが多いなあと思ったよ

こっちは田舎だから大きい公園くらいしか親子が歩いていないのだ

 

(とにかく道を親子が歩いてる姿 人間が歩いてる姿がすくない)

 

東京のとくに都心は

自転車の親子とか乳母車を押してあるく3人家族とか

コドモがたくさんいるなあと思う次第

 

仕事がある場所にはファミリーがいる

無い場所にはいないね

 

赤羽橋のあたりも歩道をあるく人がたくさんいて

チワワみたいな犬を散歩させるセレブ的若い女性二人組とか

いたんだが

いったいどういう職なんだろうね

とか

思ってしまったよ

 

いろんな人がいるわ

あと

浜松町の国際貿易センタービルの解体が開始されていて

 

あんなにおおきいもの解体するの大変だろうね・・