そうなると
他の方法で「価値」をさがしたり
あるいは「価値」になど意味は無いと割り切る(価値転倒)しか
なかろう
たとえば「なる」ことはできなくても
「いまここでこれが可能である」
というありかたはできる
たとえばこれはドゥルーズのソレにあったやつの例だが
「障害者であることによりヘルパーに業務価値を創造して与えることができる」
というのがあるね
「文字おこしのような面倒くさいことが他の人はやりたがらないがしかしそこを差別化して行うことを思いきることができる」
文字おこしってそうなん???
しかしもともとの原義でいえば
「ごみ収集」「死体を焼く」など
あまり人のやりたがらなそうな「仕事」があるわね
なぜ死体を焼くとかペットの死体を処理するとか
死体のあった部屋を掃除するとか
死んだ動物の皮をはぐとかなめすとか
そういう死んだ関係のことが嫌われるのかということは
忌
ということがあるだろうとは思うのだが
だからといって
そこでまた転倒して
「~のような仕事を行うのは ~にふさわしいような(差別用語)」
といった謎のスローガンがうまれたのはなぜかっていうところ
そんなへんな色した価値基準つくらなくても
「きらわれるような仕事は対価を大きくする」という方法があると
思うんだけど
そのころは金銭でなんでも計るという思想が浸透しきっていなかったのだろうか
いまでは死体関連は
金銭を産む
のだと思うのだが
ほんとうに産んでいるだろうか
などとあさから考えたよ
そもそも「どうしてもそれにはなれない」のであれば
諦めるのが最大最速の解決であることは論を俟たない
のである
(「論を俟たない」は「いうまでもない」を言い換えた慣用句)
べつにまつとかまたないとか動詞のつかいかたを云々するようなシチュではない