図書館2

午前2

 

『私の居場所はどこにあるの?』を

借りてまた読むのであるがなるべくメモをとって

この本は1980~1990年代の

(もちろんそれ以前の初期歴史も含む)

少女マンガのリアルを

当然ぜんぶ読んできた人が

その中に「自分」と「社会」と「少女マンガ」を

3つの関係性を

みるための鏡として少女マンガの諸相をとりあえたものだと

オレは思っているのだが

つまりこう

少女マンガ研究

という分野があり(それはいろいろなものカテゴリを必然的に含むもの

になるしかない)

それについての著作が色々とある中で

アカデミズムを出発点にしたものがあれば

あるいはこの書籍のように

編集者としてのキャリアから批評論評研究へと入っていく人もあり

 

誰かひとりが書くことでその世界の全体像がカバーできるわけがないと

オレは思ってはおるのだが

 

もちろん完全な全体像などはカバーする必要もなく

 

「重要」な部分がカバーできればよくて

売れたかメジャーか有名か

そのことはそんなに大きくは関係ない

んだと思うんだけど

それでもやっぱり

人気作で売れたものはそれなりの時代背景と当時に生きている少女たちつまり読者のことの共感されるされやすいされにくい影響する互いに影響を及ぼすことが関係しているはずで

時代をうつす鏡

であるとも言われる

 

その章だてが

1~5で

恋愛⇒家族⇒性⇒仕事(カイシャ)⇒存在の変容

というかんじになっていくのだがこのやじるし(⇒)は

関係がなくて

恋愛は性を含むし

仕事は家族(のありかた)を含むだろう

 

恋愛の変容

家族の変容

そして性の変容はすべてそれら

プライベート部門はどんどん時代とともに変容しているわけでそれにつれて

マンガが変わること

人間がかわればマンガもかわる

 

マンガのほうが先にすすんでいることもあるだろうし(SF)

SFの概念は「性別入れ替え社会」(『大奥』)のような実験作品もうむし

レズビアンもゲイもそれら概念をしらない人が99%だったころからマンガの中に登場していった

 

家族の解体とか変容とか実験とか子どもだけの生活とか

雑居とか(『雑居時代氷室冴子

 

あこがれるよね家族じゃなくて「気の合う仲間」だけの生活

 

いまこういう書籍

に似たような包括的な

マンガ像を書ける書いてる人はいるのだろうか?

宇垣総裁のようなマンガ評論者はいるが

なんちゅうか包括的な

それとも包括はしないような時代になったのだろうか

さあね