何を疲労と感じて何を怖いと感じるか

というわけで調子がいいのでいろんなことを同時に

考えているが

 

・調子がいいとあまり疲労を感じない

のは本当で

それは予想に反して精神が安定していたのだ

と先に書きましたが

予想がどういう予想だったかというのもありまして

つまりオレは事前にオレを騙して

わるい偏った予想を(わかっていて)出していたのだ

ともいえる

そうです

それもテクニックですよ

 

・宗教がこわい

「宗教なんてこわくない!」を書いたのは橋本治であり

オレは最初に著作者兼思想家としてついていこうと思ったのが橋本治なので

オレはその宗教に対する考えかたにももちろん影響をうけている

まあ

オウム

以後のことを考える本なんだけど

つまるところ仏教が無と言っているのも

それは「自分の頭で考えろ」といっているに等しいのであって

だって誰だっていきなり「すべては無」とか言われても

ぽかーん

なわけじゃんね

でも

考えていることには実体はない(ないです)

とかそういう「あると思っても実はないもの」がたくさんあるわけです

それらはことばによってつくられた概念であり

モノの名前とはことなる

しかしモノもすべていまここにあったとしても

いずれ腐るすりへる風化するなどいろいろあって

永続するものなどないのだる

宇宙だって最後は爆発してなくなるっていうし

つまりあるようにみえて最終的(究極的)には

ない

のである

これが無である

そういうことを言ってなんなんだじゃあいまここに生きている

といううちらはどうすればいいというのです>?

というのが出発点であってそれはおまえが自分で考えねばならんのだ

と言うであろう優れた師であれば

なぜならば他人からこれやれといわれてやることは

おまえのすることではないからである

考えのもとの根本がおまえのものではないからだ

仏教というのはつくづく「なぜならば」という

原理や根本や理由や根拠が

好きなアレなので

結局理屈が好きなのであるが

理屈を馬鹿にすると理屈にしてやられるのである

なんでもバカにしないほうがいい

 

さてそういう宗教だが

まともなものの他にまともじゃないものがあって

それは

金をあつめたり

暴力を扇動したりするやつであり

それらは宗教ですよといいつつ皮をかぶっているだけなのである

他人に言うことをきかせる方便として宗教の名をかたっているだけである

たくさんあつまれば政治力がえられるとかね

バカじゃねえのって話である

しかしそういう「おおきい力」になってしまっているものは

こわいのである

 

他人にむりやり言うことをきかせようとするからだ

 

それで殺人くらいは簡単にするし

 

まだまだ人間社会はあたまがわるいままだ