えっと
今朝はWORDLEにつけるひとことに
PSB”Betrayed”をつけたのだが
ファン?あるいは研究者によるPSBの曲解説のページがあり
そこにはこの曲の成り立ちと
もとになったE.M.フォースターの言葉がのっている
いわく
友と国と
裏切るならば国を裏切れ
原文は
"If I had to choose between betraying my country and betraying my friend, I hope I should have the guts to betray my country"
というのがありましてな
ふうん
と思ってWIKIPEDIAをみれば
フォースターこそが生前に「モーリス」を執筆して
そして刊行できなかった人物である
と
こないだ県立図書館で立ち読みした
『独身者の思想史 増補版ーロック・ヒューム・ベンサム 』
という本の中に紹介があって
まあ
まあねPSBにしてもゲイであることをカミングアウトしている(ニール)が
それはやむをえずという側面が強かったと
WIKIPEDIAにはある
まあそれはそうなのかもしれない
なんにせよ
つながりというのはあるもので
オレの興味関心が英国の
どこか昔からの
高級な大学のサークル的なものに興味をひかれるものがあるのは事実である
(フォースターがそうであるように)
それにしてもイギリス人あるいはイングランド人のヒューマニズムってのは
どうにも
なにかこう
世界をみるときに支配者(大英帝国)の目でみたからでは
ないのかん>?
と思うところしばしあって
ある時代までのアメリカは帝国としてのゆるぎないアメリカ人として
その目で世界をみていたはずなのだが
それはアメリカがDeclineしてきていてもなかなか眼は刷新できないもので
日本人だって経済セカイイチ!みたいな目とこころの面持ち
というのはなかなか「もうそうではない」を刷新できないのではないか
まあでも英国人のなにか
へんくつ
好奇心
みたいなことから学ぶ日本人は多かったはずでそれこそ
明治からこっち
漱石以降多くの人間が
英国にわたったであろう
宇多田ヒカルがロンドンに居るように
それは便利(他のミュージシャンたちと)だからだと思うけど
それこそアメリカン乾いたインディーポップと
ロンドンに集まるような多国籍
いや多国籍はいまやどこでもであって
えっと
ロンドンにあつまるのは何に惹かれるものがあるのであろうか
どうだろうね
オレは好きなんだけどねロンドン
レンタカーでまわるより公共交通でまわるじゃん
アメリカンの都市はそうはいかねえからな
ああ海外旅行いきたい