早めについた

がっこうへ

 

昨日と今日の間がすごく

脳にご褒美

たくさんで

遠い昔のようだね

 

脳には主観しかないから

たくさんの濃い緻密で充実した充填があればそれは

「長く楽しい」こととして

主観的時間経過が長大でら

として認識してそれを

固定する

 

うちの父が若き日のよき

思い出

の話(駅伝とかバスケットとか海岸ゴミひろいバイトと技術翻訳士?とか)

ばかりするのはそれが楽しかった

 

ので主観的時間が肥大化して

もう氾濫してしまっているのである

 

確かに30405060年代を代表する仕事の記憶の話などほとんど聞いたことないわ

何やってた人生だったんだ

 

そのあとの話はきくのでつまり

人生の縮図にほどーとんどん

「仕事でがっぽり稼いだ」ことが

記憶定着しなかったという

ことなのよん

これは興味深い

 

 

おそらく仮説は

「したい仕事を選択するなど贅沢で

稼げる上場企業で定年迄つとめあげる

ことが至上命題で疑うことさえ

なかったゆえ

好き嫌いを意識したことがなく嫌いだったとしても抑圧して閉じ込めてしまった

ので意識の表層に浮上してこない

と見受けられる

仮説です