水曜の午後の帰宅
がっこうからかえってまず着替えて
直であるいて図書館にいき
『意識のリボン』の昨日のつづき
「履歴のない女」まで読んだ
まるで著者本人の体験かのように見えるように書いてある小説
短編である
どっちだったとしてもその内容に
確認のしようもないのである
こどもが脳炎になるかもしれないのは
ショック
でしょうし
実際もんだい生き残って後遺症がのこることも
あり
あります
ね
それはこわいこわかろう
子供が「自分よりも子供」と
真にそう思える体験はしてみないとわからないだろうし
同時に「コドモより自分」もまたそう
そのように自分が体験してみないとわからんだろうとも思うのだが
そうでなくても
殺し屋の気持ちなど
殺し屋になったこともないのに書くのであるから
そこはフィクションのちからいいますか
どうなんですか
どうして母親のそれとかそういうのにかぎって
本当の経験の価値とかそういうのを持ち出すのであろうか
本当かどうかが一番どうでもいいのに
ねえ
それを自分のオレの感想についてもそう思うのであるよ