別に無理して比較しなくていいのだが
デクリネゾンを読んでいて
わかりたいのにわからない
ことをマイナスに受け取ってしまう
人が
この主人公なのかなー
とおもって
(過去の男たちもいまの就職活動から就職の若い夫も)
じゃあお前は誰かから理解されてるとでも思ってんのかという話で
相互性という意味では誰からも理解されず誰のことも理解できないのである
そのことは主人公が実母と全く折り合わない上にほとんど登場しないくせに連絡してない事実だけは小説上に登場する
ところで違国日記では
理解はしないしそもそもできるものではないという前提から出発している
恋愛とか主人公はあるけどそれは理解したいされたいという関係性ではない
一切
男のほうはそうでもないとおもうのだが
お話ということはそれぞれ面白いなあとおもうのだが少なくともデクリネゾンはなぜ読者は主人公がちっとも幸せではないのかをそれぞれ読者之持っているリソースで分析したがるための小説ではなかろうか
ちっともしあわせそう
ではない
あんなに豪奢で美味を貪り食い酒ばかり呑んでるのにね
飲まずにはいられないのか
とか読者は思っちゃう