理系教育(STEM)

STEMってなんだい

Science

Technology

Engineering 

Mathematics

の略だそうです(どこで読んだかって「千秋日記」で読んだ)

 

あいかわらず他人様の日記ばかりよんでいる

 

 

ともかく理系の学問は何が大変って

「脳に汗をかいて」習得するものと千秋日記様では書いていらした

そうだろう

 

しかしじゃあ文系学問は脳に汗をかいていないのか???

 

とか思うわけだが

 

まあまず先になんでそういうSTEMみたいな教育が必要かといえば

人材

としてそういうことを理解していないやつは結局仕事できなくて貧困になり

それはそれで社会問題になって福祉の経費がかさむ

というのである

そうだろうね

教育でなりあがる

のは一番なんというか正統的でベースがあって理屈の上で他人を

攻撃して蹴落としたわけではないことになっているからね

競争ではあるけれども

 

昨日みてたGUNDUM鉄血のオルフェンズ

やっとちびちびわかってきたが

あのじじいはコドモに強制的に手術をさせて宇宙船外でも活動できる身体にしたてあげた

とか

やくざはじじいにとりこんで代行的に組織吸収を交渉しにくる(実際は交渉ではなくて脅しにすぎない「配下になれ」「さもなくば殺す」)

とかあるわけだが

 

つまるところ貧困ですよねベースとなる設定は

 

だから教育もうけていないので字のよみかきができず

お嬢様から教えてもらうシーンがあるわけです

 

話しを戻しまして

 

 

じゃあなんで理系教育は脳に汗をかく(文系はそうではない)のか?

 

文系がそうではないことは「正解の形が一元的に確定 しているかもしれないがそれが理解されにくい」ことにあるのではないか

 

理系学問はある程度までは「正解の形が一元的に確定している」がゆえにそれに至る工程での理論的な枠組みと概念操作を

そう決められている通りのステップを踏まないと一元的な正解にたどり着けないようになっている

それはもうコドモのうまれる前からそれは決定しているので

創造性云々の前にまず100点とらないとはなしがはじまらないのである

部分点というものがないわけだ

 

その世界ではそれはかならず「真理」であり真理には確定した形式があるというわけである

 

文系学問においてはおそらくだがたとえば文学として芥川の小説と太宰の小説とどちらも同じ小説であるそしてそれぞれは別の価値があるとされている

別の価値

同じ小説なのに数値化もできないのか?

質を評価するスケールもないのか?

って話である

 

そうです

ありません

 

しかしだからこそその価値が

たとえば芥川賞という「権威」はその審査員が決める

のであって読者ではない

わけで

読者は読者で「こっちのほうが(賞にふさわしいくらいの大きい)価値がある」と思いこんだりすることができるが

あながちそれは読者が愚で読者が間違っているともいえないのである

いえないのか>?

いえないねえ

 

あと「村上春樹とかセックスのことしか考えてなくて大嫌い」と言うこともできる

できます

 

科学の世界でファラデーとか大嫌いだああいうのは認めない

言うわけにはいかないのであるなぜならファラデーがみつけたのはその部分における「真理」であってそれは改変もできないし価値を他の場所からみるというわけにもいかないからだ

それがユニバーサルということなのである

 

じゃあ文系学問はユニバーサルではないって?

 

ある意味ではそうかもしれないなあ

 

どうかねえ

 

むつかしいわ

 

なんにせよ千秋日記はおもしろいね

高齢男性であるという偏見をヌキにしていったんよむがいいとおもう