価値の中にある希少性

・オレはいまの川の土手がすぐ近くにある土地に住むことにすごく満足うれしい気持ち思ってるんだけどこれは生まれて育った土地が平らなくだらない住宅地でまさに平すぎて家が多すぎて起伏がなく

大空を眺めるにも地平線に邪魔な家がたくさんあってくだらねえ

みえねえじゃねえか

それにくらべてこの川の土手のひろがる空の広がる場所は空間をきりとって空までひろくて素晴らしいとても好き

 

・山の森林限界を超えてひくいハイマツしかないくらいの場所は人間の住む場所ではないがそれこそ景色の広がりを邪魔するものはなにもなく

素晴らしい

 

・雪が好きなのも生まれた土地がまったく雪のふらない温暖すぎて頭がボケている土地なので雪をみれば興奮するし積もって雪かきという現象もそれは人間がさからえるものではないという意味でそれなりに興奮するし雪の中で歩くのは更に好き

 

雪は冬の限定された土地にしか降らないからその意味で希少性がある

 

若いうちとか足を鍛えてある後年でないと登山もできないのでそこには条件として健脚(健康のバックグラウンドがあり心肺機能も大丈夫である)というものがついてくるだから誰にでもできることとは言えず希少性がある

 

誰にでもできる仕事(=くだらない仕事)というが

真に誰にでもできる仕事というものは真としては存在しないのであってたとえば家事についてもできないやつはできないのであって家事をする能力がないのである家事というのは総合職であってマネジメントの能力が必要でたとえば食事を毎日つくるのにしてもそれは栄養の観点と冷蔵庫などの食材を使い切る運営と調理は変化をみこす加熱したらどうなるかの経験と知識そして皿や鍋フライパン等を適切に操作動かす混ぜる混ぜすぎないなどの加減を調節する能力が必要であるもちろん味付けは複合的にこれとこれでこうなるというプロセスを学ぶ必要もある

 

経営者とかいってえらそうにしてる爺がてめえのメシを毎日つくれるのかって話し’たとえばなし”できる奴もいるだろうけどさ

誰が何をしているかの

この世の中で真なる希少性は目にみえず隠れている能力にある