きたく

えっと

2級ボイラー技士の国家試験(筆記)合格したぜYEAH

実務講習も受けたからこれで要件はそろった

格通知を受け取り次第で免状申請し

それがとどけば1級受験だわさ(労基にいって免状確認してもらう必要あり)

確認が面倒よねえ

まあ

しゃんめえ

 

それにしても今日は丸一日SeQuence

疲れたわあ

1日おなじことするのは本当につかれる(飽きっぽいから)

マジで

 

しかもねむい

 

帰りに図書館いってメモつくり読書してから返した

 

「多様性」とタイトルについてたが多分それは間違い

対談集だしね

しかしエッセンスを

抜き出せば

「~であるということに自ら自覚し意識しそこから抜けだすことを考える」である

つまり自明であることを自明であるとしたままではそのままで

意識もなにも認識も

そのままなのである

言葉

言葉は慣用であり他人がつかってきた用法をまずは使うしかない

しかしそのままでは他人の言葉のままなのである

自分の言葉にするためにはどうすればいいのか

っていうね

 

アナーキズムは相互扶助を重要であるとするがそれ以前にまず

自分

がある

ということが出発点で自分のそのとき思った通りにするのが基本である

そのうえで他人を助けたいときは助ければいいのである

なにもそれが相互が義務だなんて言ってない

できるなら相互すればいいしそうじゃないなら賦課を返す義務などないのである

それがだいじ

 

対談集の6人の中で

ディスタンクシオンを訳した石井さん

ブレイディみかこさん

千葉雅也さん

を3人を読んだがやはりブレイディみかこさんの

それが面白いというかなんというか

つまり保育園での教育が

演劇

つまり「表情と感情をリンクさせる」ことを教育するんだってさ

親が

子どもがわらってないと殴るので

つらいときには笑うみたいなことを自動思考しているこどもとか

いて

つらい時に泣きたのしいときに笑うなどの

それが感情のあらわしかたのコードなので

なのだ

そういう話だっけ?

虐待の話ではなくて

いや虐待もだいじなイシューなんだけど

えっと

他人の気持ちを考えることが演劇の訓練で

それは他人は他人の表情を見て知るのが第一歩みたいな

そういう話だった

コミュニケーション

他人はそれをどう思っているのか?

他人の感情について考える

しかしこれは感情移入ではない

「自分」はいつもそこにあって

他人になりきることが目標ではないからだ

 

他人の靴を履く

というのは誤解されやすいフレーズだたしかに

そうだね

 

アナーキズムはいろいろと

深く掘っていけるものだとおもわれるねえ

 

ブルデューも「怒り」社会における不正とか

そういうものに対して声をあげ文章を書き続けることが重要だ

というパッションの人だったそうです

もともとブルデュー自身が

階級としては下のほう出身だったんだってさ

田舎のなまりもあって

高等学院では苦労したらしいよ

ふうむ

あの厚い上下本ね

買いたい・・です

 

千葉の新書はとってあるので読むよ

いつかね